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まほろばだより−折々の書−
 

 

   
 

 

 

 
 

 

 

 
 先々月、嵐山の松尾大社に詣でた。 出張の帰路、実は以前、編集者の有岡真さんの勧めもあり立ち寄ったのだった。

 そこには、磐座(いわくら=古代祭祀跡)といわれる巨石群が並べられているということで、ひそかに興味が注がれていた。

 



古い神社は、必ず磐座(いわくら)の巨石が先ずあって、その後、社を創建していった。松尾神社はその典型。

     

 
  松尾神社といえば、千葉香取の寺田本家を尋ねた際も、蔵に黒光りしたそれは大きな「松尾さま」の神棚が頭上高々と祭ってあったのを覚えている。
また、漫画「夏子の酒」でもよく登場していた。酒蔵には欠くことのないこの御神体こそ、酒の神様、松尾さまであった。聞くところによると、松尾大社は、酒のみならず、土木建築に始まっていろいろな古い文化・産業に関わる神様であるという。その御社は山を背にして鬱蒼とした木々に囲まれ、古色蒼然とした中に佇んでいた。各地の酒蔵と眼に見えないネットワークが張り巡らされているためか、他の寺社にない今を生きる活き活きとした雰囲気が場を違ったものにさせていた。

 ここ一帯は、映画村で有名な太秦で、古代秦氏一族が来朝して居を構え、それまで日本になかったさまざまな産業を伝承していったという。秦氏の音「ハタ」が、すなわち機の織産業であり、その技術を伝えたのが、この秦氏であった。その出自を秦の始皇帝の命で来日した徐福の一族であるとする史家や、いや朝鮮からの渡来民族だとする説があって定かでない。折りしも、この件については私なりの説を発表しようと目論んでいた矢先でもあった。これは雅楽の東儀一族も秦氏の出ということもあって、興味が尽きない。それは私事であるが、古楽に耽溺してしまうせいもあるからだ。が、しかし、残念なことに、その日、帰りの便に間に合わぬため、山頂の磐座(いわくら)参りを断念せざるを得なかった。

 

 

 


「亀の井」の神泉。

 

 下の庭にしつらえた磐座のモデルを見ながら、庭園を一巡し、「亀の井」という井戸に行き当たった。水を眺め、水を飲み、水を汲む。もうお分かりかもしれないが、ふとエリクサーセラミックに入れてみたくなった。何せ、酒の仕込み水に使うと、この松尾さまの一滴の水で、全く茶碗が窯変するかのように別物に変化するという。神威というに憚らぬ何ものかが介在するのであろうか。

 

 

 


 実は、この水と岩は切っても切り離せない関係で、米国・キャラハン博士の常磁性の話は、エリクサーの小冊子で幾度となく語ってきた。磐座といわれる巨石と水の相生関係には、その必然性がある。エリクサーの内部構造には特殊な鉱物が 種類も入っており、巨石と水の循環システムをミニマムに実現している。私の磐座への旅はまだ続くのかもしれない。  

   


見事な磐座(いわくら)。ストーンヘッジを思わす不思議な空間。

     

 
  そうこうしているうちに、飛行機の時間が迫って来た。白砂利の境内をそれとなく歩んでいると、五人ほどのお年寄り仲間を、一人のおじいさんが写真を撮ろうとしていた。その時、通りかかったうら若き巫女さんが、「私に撮らせてください。」とさりげなく言って、カメラをかりると、「すみませんなあ」と恐縮しながら嬉しそうな皆の表情を、パッチリと捉えた。その何気ない風景は、場を和ますというか、一瞬にして境内をパアーと明るく光輝くものにした。

 私の松尾神社に対する印象が、その時何か変わったように感じた。そして、思ったのは、人が場を変える、ということであった。もう少し宗教的に言えば、人が神を招くというのだろうか。確かに、場や社は人をして真実にさせるのではなかろうか。

 

 

 

 

 この時、思い出したのが、中庸と孟子だったか

「誠者天之道也、誠之者人之道、至誠而不動者、未之有也」

―誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり。至誠にして動かざるもの未だこれあらざるなり―

 彼の吉田松陰の苛烈な原動力はこの一句に信念があった。  

 この場で意訳すれば、社に神が住まうのではなく、人が誠にしてこそその場に神が住まう、ということではなかろうか。量子論の「人が介在して時空が現われる」という概念を咄嗟に理解出来たように感じた。私は、別段神道の信者でも行者でもない、普段の日本人の感覚で神社に参拝したに過ぎないが。

 場と人は不即不離である。そんな感慨を抱いて、その大社を後にした。

 

 

 

 


「至誠にして動かざるもの、これあらざるなり」といってこの世を去っていった吉田松陰。

 

 

 


 

 

 

 

 

 「りんごの木を斬ったから、良かったら取りに来て下さい」との知らせがあった。
 店の隣山・三角山のりんご園、斉藤允雄さんからだった。

 初めての事だ。 りんごの木を斬った?! 何かあったのだろうか。  

 思えば、斉藤さんとのつき合いは、今を遡ること二十二年前。 ちょうど店を始めた頃だった。

 

 

 

 家内との二人だけのスタート。  
 朝六時前からの市場仕入れは、幼子を交替で背負い、二人で0―リングテストをしながらの大仕事だった。
 それから、値段付け、袋詰め、店だし、接客、電話きき、配達、片付け、発注、棚だし、新聞作り・・・・・何から何まで二人でこなさなければならなかった。  
 夕食は十時を過ぎる。ご飯と箸を口に入れたまま眠りこけてしまう事もあった。  
 
 とにかく忙しく、無我夢中の日々。そんなこんなで、いったん店に帰ってしまうと夜までご飯にありつけない。それで一計を案じ、仕入れの帰り、店から五分ほど離れた三角山の木陰に車を止め、朝兼昼ごはんを食べることにした。すると、その横に、何とめずらしいりんご園があるではないか。しかも、それは見事な樹勢である。たわわに実るりんごの見事さに見惚れながら、0―リングしてみようか、と以心伝心。

 ところが、意外に強いプラス反応で、これには驚いた。りんごの農事暦に指定された農薬散布は最低十三回以上が当たり前で、とうてい市場では良い物が少ない。早速りんごの仕入れをお願いしたら、快く卸して下さった。それからのおつき合いで、もうかれこれ四半世紀。お互いに歳取るはずである。その間、台風で実のほとんどが落ちてしまったり、高温障害でボケが早かったり、様々な難儀の山があり、谷があった。しかし、今日までおつき合いできたことに、心から感謝したい。

 

 

 

 

 そして、かくも続いたのは、斉藤さんのお人柄によるせいだと信じている。作物はその人を顕わす。  

 これは生産物に限らず、芸術でも、学問でも、商売でも同じことが言えるのではなかろうか。ことに植物は生き物だから、作る人の心を映して育つ。これまで、様々な篤農家の方々にお会いして、その共通したものがあった。その人の作物に、人となりが如実に顕れることだ。  

 

 


夕闇の中、斬られたりんごの残骸を前にして、斉藤さんご夫妻。ご苦労様でした、りんご達。

 

 

 


 斉藤さんの深く静かで安らかな瞳の奥にある、力が抜けた自然性、あるいは今流行の言葉では、りんごと会話できる達人とでも言うのだろうか。  
 まるで神様みたいな人、これは大袈裟な表現でなく、本当にそう思うのだ。きっと、りんご達は、斉藤さんを親のように慕って、この人のために生きているに違いない。  

 日も落ちた夕刻、私は農園のスタッフの福田・熊木両君を連れて五分もかからぬりんご園に向かった。無残にもか斬られたりんごの木が小山になっていた。それはちょうど、弔われた墓場のようでもあった。まほろばの店に何か使えるものがあるかと探してみた。しかし、それは、屍を選り好みしているようで、内心決して愉しいものではなかった。  
  大きい幹の多くは、空洞を中に隠していたのだ!!
  もう既に何十年前に倒れてもいいはずだった、その老木は………。

 

 

 

そんなにしてまで、今年も、さらに来年にも、咲こう、実らせようと生きてきた。

 外目は何事も無いかのように、だが、中は朽ち果てて、こんなに空洞になるまで、その周りのごく薄い一枚の皮の如き幹でそれを支え、地下からの栄養を吸い上げて、たわわに実を膨らませていた。
 渾身の力を振り絞って生きるということを、半ば枯れ果てた大木の残骸に学んだ。

 


 

 

 

 

 


 斉藤さんも、最初、斬らねば成らぬと決心しても、どうしても斬れなかったという。それはそうであろう。手塩にかけて育て上げてきた子供である。子供の顔がそれぞれ違うように、りんご一本一本の顔を、克明に覚えていて忘れることはないのだ。どんな癖があり、どんな成りをして……………お父さんの代から引き継がれて七十年。それはそれは、長い長いつき合いなのだ。私達がおじちゃん、おばあちゃんと別れるように、別れる時期が来たのだ。それでも、その年の最後の最後まで斬れなかったという。

 

 

 

もう朽ち果てて、もう役目を終えようとしたその時を、斉藤さんは充分過ぎるほど読んでいた。    

「もういいですよ。斬っても。 ありがとう。こんなに大事に育ててくださって。  

とても感謝しています。あなたにも、あなたの奥さんにも。  

そして植えてくれたあなたのお父さん、お母さんにも。  

本当にあなたに育てられて、私の一生は充実した素晴らしいものでした。  

こんなにも、みなさんに美味しいって言って戴いて。  

『もうこれ以上は生きなくてもいいから、お休みなさい』  

と、神様が言って下さったから、私は帰りますね。  

それでは、さようなら。 ・・・・・・・・ありがとう・・・・・・・・。

・・・・・・また、あなたと 天上で会いましょう。」  

 

 

 

 

 奥様がぽつりと語った。  
 「そうなんですよね。斬ると心に決めたりんごの樹は、その年、それまでで一番の成りを実らせて、命を終わるんですよね。」

 その言葉を聴いた時、私は、本当にりんごには心があるんだな、生きているんだな、と心震えた。  

 ご主人に最後のご奉公をしようと、健気にも今までのあるったけの力を振り絞って、そして、静かに命の幕を閉じた。  

 その夕空に映るりんごは、天上の贈り物。  

 あの三角山のりんご園は、美しい精霊の安らぐ宿り木だった。

 

 

2006年6月8日記

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