まほろばblog

「感性を研ぎ澄ませ 患者の声に謙虚に耳を傾ける」

9月 9th, 2013 at 10:07
 押川 真喜子(ハーフ・センチュリー・モア ケア部門統括責任者/
          聖路加国際病院訪問看護ステーション元所長)

              『致知』2013年9月号 
                   「致知随想」より

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一九九二年、三十二歳で
聖路加国際病院訪問看護科を立ち上げ、
その後ステーションに移行してから二十一年。

その間に私は約千人もの患者と出逢ってきました。

訪問看護では、年齢や疾患を問わず、
在宅療養患者のもとを訪れ、様々な処置を行います。

介護職でも対応できる入浴の介助から、
点滴等の医療処置、入院の判断をはじめ、
緩和ケアや終末期の看取りへの対応。

その裁量の大きさゆえ、訪問看護師の責任は重大です。

私は看護師生活の大半を訪問看護に捧げてきましたが、
大学卒業直後は「死を目の当たりにしたくない」
という理由から、保健師として保健所に就職しました。

そんな私の転機となったのは、
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性との出逢いでした。

ALSは筋肉が萎縮し、全身麻痺になる難病です。
人工呼吸器が必要となるため長期入院を強いられ、
奥様は幼い子供をお義母様に任せて
献身的に看護されていました。

本人はもちろん、家族の負担は
計り知れないものだったと思います。

しかしそのような状況でも、
明るく気丈に振る舞う奥様に心打たれ、
病室を訪ねるうちに私は思わず口走っていました。

「何かあったらお手伝いしますから、
  なんでも言ってくださいね」

とは言え、病状から退院は無理だろう、
と内心思っていた私に奥様から電話が入ったのは、
三か月後のことでした。

「病院が廃業することになったの! 押川さん助けて!」

自分から申し出た手前、断ることもできません。
奮起した私は帰宅の願いを叶えるべく、
道を模索し始めたのでした。

しかし、当時は訪問看護という言葉すらなかった時代。
ALS患者の在宅看護を主張した私は、
保健所の中で完全に孤立してしまいました。

家族が分断され、長年辛い思いをしてきた方たちの
願いをなんとか叶えたい。

その一心で関係者の説得や機器の手配に奔走した結果、
保健所の所長が帰宅を許可してくださったのです。

「お父さんおかえり!」

当日、涙を流しながら子供たちに迎えられる彼を見て、
私は涙が止まりませんでした。
これが私の訪問看護の原点となったのです。

その後聖路加国際病院に移り、
院長の日野原重明先生に訪問看護の必要性を直訴。

先生はすぐ志に共感してくださいました。
しかし医師たちは看護師が医療処置をすることに
不安感を抱いており、処置の実演など、
技量を試されることも少なくありませんでした。

訪問看護の草創期は、血圧測定や簡単な問診のみを行う
「家庭訪問」が主流でした。

しかし、徐々にではありましたが、
私たちを必要としてくださる方は増え、
ケアの範囲も広がっていきました。

看護を始めて約十年が経った頃のことです。

経験を積んだ私は周囲から認められ、
いまにして思えば、過信していたのかもしれません。
そのような時、その後の仕事観を
決定づける出逢いが訪れました。

彼女は十七歳の白血病患者でした。
白血病は病状が悪化すると、毎日輸血が必要になります。
同様の状況だった彼女は、
ある時何度も注射に失敗するスタッフに不満をぶつけたのです。

自分たちは精いっぱいやっているのに……。
そんな思いがよぎり、
私はついこう漏らしてしまったのでした。

「私たちも頑張っているのだから、
  少しくらい我慢してくれてもいいのでは」

それを聞いた彼女は、

「私には、優しいけど何度も失敗する看護師さんではなく、
  怖くても一回で処置をしてくれる看護師さんが必要です」

と、涙ながらに訴えました。

病院では、失敗しても
はっきり拒否されることはありませんでした。

長期療養してきた彼女ゆえの切実な叫びに、
私は奈落の底に落とされたような衝撃を受けました。

生死と隣り合わせの人を相手にしているからこそ、
常にプロフェッショナルであることが求められる。

彼女の一言から私は、訪問看護師として
忘れてはならない三か条を掲げました。

「客観的に自分やスタッフの力量を判断する」

「患者の価値観を尊重する」

「感性を研ぎ澄ませる」

一人ひとりの死に様は、その人の生き様とも言えると思います。
その瞬間を最善のものにするためには、経験を積み、
理論を学ぶことも重要ですが、それをどう生かすかは、
私たちの力量次第です。

感性を研ぎ澄ませ、謙虚な姿勢で患者の声に耳を傾ける。
以来私は、これらを訪問看護の基本として、
仕事に打ち込んできました。

「病気になったことはとても悲しかったけど、
  あの時間が私たちにとって一番の宝物で、
  それは主治医と押川さんのおかげです」

約九か月の看護の後、彼女は亡くなりました。

しかし、最後に家族がそう言ってくれ、
多くの学びを残してくれた彼女の存在は
いまも私の心の支えになっています。

そして今年三月、私は訪問看護ステーションを卒業しました。
あえて自分が退くことで、後進に伸びてほしいと願い、
さらに高齢化が進む日本の将来を見据えて、
介護施設の介護職を統括する現職に就きました。

訪問看護でカバーできる部分は限られている一方、
団塊の世代の高齢化が進めば、看る側も看られる側も
認知症を患っている「認認介護」も問題になってくるでしょう。

しかし、介護施設での介護や看取りは
まだ整備されていないのが現状です。

これまでの経験を生かして、
多くの人が自身の生を全うできる施設づくりに貢献したい。

その実現のために、これからの看護師生活を
捧げていきたいと思います。

One Response to “「感性を研ぎ澄ませ 患者の声に謙虚に耳を傾ける」”

  1. 坂井絹子 Says:

    押川さんの経験、言葉。うれしくなりました。お体に気をつけて。

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