まほろばblog

「最期のときを共に過ごして」

12月 30th, 2012 at 8:15

┌───2012年、反響の大きかった記事ベスト3──────────┐

     日比野 寿栄
               (ひびの・すえ=管理栄養士・健康運動指導士)
 
               『致知』1998年10月号「致知随想」
└─────────────────────────────────┘ 

「大丈夫ですか」

車椅子の上で体勢を整えようとされた上妻由紀子先生に、
私は思わず尋ねた。

すると由紀子先生は、
私に向かって諭すようにこう言われた。

「『大丈夫ですか?』という言葉は、
 安易にかけるものではありませんよ」

こういうことである。

体が不自由だからといって、
いつも人の手を借りなければいけない状態に
あるのかといえば、そうではない。

「大丈夫ですか」と問い掛けるのは、
かたわらで見ている側の心の不安の表れである。

由紀子先生は
「ちゃんと私の状態を把握していますか」
と問い掛けたかったに違いない。

私が栄養士として由紀子先生の身近で仕事をするようになって、
1か月ほど経ったときのことだったが、
いまにしてみればその思いがよくわかる。

由紀子先生との出会いは2年半ほど前のことだ。

新聞で腎臓病食専門の栄養士募集の広告を見て、
応募したのがきっかけである。
由紀子先生は精神科医で、東京の町田市にある上妻病院を開設され、
副院長を務められた方だ。

「この世の中から病気をなくすことはできない。
 でも、病気で苦しむ人の心をなくしていきたい」

との志を掲げて病院を始められたのだが、
間もなくリウマチを患われた。

その後、2年半前には腎不全になり、
私が由紀子先生と過ごさせていただいたのは、
62歳で亡くなるまでの約一年半である。

20数年にも及ぶ闘病生活が辛く苦しくなかったはずはない。

それなのに

「病気によって苦しいのは、本人ではありません。
 代わってあげることのできない周囲の人たちのほうが
 よほど苦しいのです。地獄とはそういうことです」

と言って、決して弱音を吐かなかった。
いつも周りに気をつかって、笑顔で振る舞われる先生が
不思議で、尋ねたことがある。

「先生はどうしてそんなに強いのですか」

先生の答えはこうだった。

「それは多分、人間はとても弱い存在だということを、
 知っているからだと思います。

 例えば、この苦しみをだれか一人の人間に預けて、
 もたれかかろうとしたとします。

 そうしたら、その人はきっと私の重荷に耐えかねて、
 つぶされてしまうのね。
 それくらい人間は弱い生き物です。

 だから、人間に絶対を求めてはいけません。
 絶対なるものは、目に見えない、
 神とも言うべき存在に求めるしかないのです」

先生は、いつも見えない神と対話しながら、
ご自身の弱さと闘ってこられたように思う。

そのような先生の姿勢から、
私はさまざまなことを教えられた。

先生は仕事に対してことのほか厳しい方だった。
私が栄養計算をしてお出しした料理にしても、
1回目で口にしていただけることはほとんどなかった。

あるとき、食べやすいようにと、焼きなすの皮をむいて
食膳にお出ししたことがある。

「これではだめよ。
 なすはアツアツの状態で、
 自分で皮をむいて食べるようにしなければ」

と、作り直しを指示された。

先生は薬の瓶も決して捨てることはなく、
ものを大切にされる方だ。
それなのに、なぜ作り直しを指示されたのか。

「プロとして報酬をもらっている以上、
 最高のものを提供しなければいけない。
 妥協してこれでいいですよ、と言ってしまったら、
 その人のためにはならない」

そう思って、苦言を呈してくださったのではないかと思う。

別の折、仕事の厳しさを説明するために、
次のような話をしてくださった。

「あなたがある人から1万円を借りたとしましょう。
 『明日返しますから』と約束していたのに、
 うっかりして返すことを忘れてしまいました。

 『ごめんなさい、明日には必ずもってきますから』
 と言えば、その人はきっと許してくれることでしょう。
 でも、天の裁きというのは、
 自分の言った言葉を守らなかった時点で下っているのですよ。

 仕事も同じです。
 自分が今日はこうしよう、と思って決めたことを
 きちんと果たしているかどうか。

 だれかが見ているからやるのではなく、
 自分と交わした約束を守っているかどうか。
 それが仕事の基本的な心構えなのですよ」

このように言われるのは、先生自身が仕事に対して、
真摯な姿勢で取り組まれてきたからにほかならない。
病院を設立する前、先生がある病院に
勤務されていたころのことである。

勤務時間が終わっても、
交代の医師が来ないことが度重なった。
そんなとき、由紀子先生はいつも表情一つ変えることなく、
何時間も待機されていたそうである。

院長先生が、そのような由紀子先生の働きぶりに感心して、
給料のほか、同額以上の別封を渡されたそうだ。

由紀子先生はこうも話されていた。

「大抵の人は、人生の花を咲かせるには、
 耕された土地に、種をパッと蒔けばいいと
 勘違いしているようです。

 人生に花を咲かせるというのは、
 コンクリートの上に花を咲かせるのと同じくらい
 大変なことなのです。

 考えてもごらんなさい。
 コンクリートの上に咲いている花がどこにありますか。
 でも、そのように苦心惨澹(さんたん)して咲かせた花は、
 心の中にいつまでも咲かせ続けることができるのです。

 私が病に苦しみながらも、心やすらかにいられるのは、
 これまでに咲かせた花がいまも萎まずに
 咲いてくれているからなのです」

先生が繰り返し繰り返し語られた言葉に、

「あなたはどれだけ損得なしに、
 人のために尽くすことができますか」

というのがある。

だれかのために、惜しむことなく、身を呈す。
その瞬間にこそ、人は神に近づける――
という思いが、先生の根底にあった。

そして、惜しまれつつ召された
由紀子先生の生きざまを振り返れば、
限りなく神に近づこうと努力された方だったと改めて思う。

先生とは短い縁であったが、私もそのような生き方に
一歩でも近づきたいと願っている。

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