まほろばblog

「“平成”の年号にはどんな意味がある?」

10月 13th, 2011 at 9:55

  対談     伊與田 覺

         ×   荒井 桂

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【伊與田】僕は震災後、平成という年号のことが頭に浮かびました。
         この年号は
       
         「内平らかにして外成る」

    「地平らかにして天成る」
       
         という意味を込め、安岡正篤先生が考案されたものですね。
       
         ちょうど佐藤栄作総理の頃です。
         昭和から平成に変わった時、先生はすでに他界されていて、
         政府の首脳部の中には生存中の人の意見で
         年号を決めようという声もあったようですけれども、
         最終的には安岡先生の案で落ち着いたらしい。

【荒井】 当時の竹下登首相が、あれは安岡先生の案だと
     ポロッと漏らしたと聞いています。

【伊與田】そう、いつの間にか話が広がってしまいました(笑)。
     ところが、平成の世を迎えても、日本の国情はそうではない。
     
     次々に新しい内閣ができて党内が結束しているかというと、
     とても内平らかどころではない。
     このまま行けば何かが起こる、
     起こらずにはおらんだろうと感じていた時に、
     今回の大震災です。

【荒井】 やはり先生もそうお感じになっていましたか。

【伊與田】安岡先生は早くから、
     これから天変、地異、人妖、
     つまり妖しげな人間が横行するような時代になると
     危惧されておりましたが、
     その三つが出るべくして出てきたという思いがしておりますね。
     
     まことに東北の人々にはお気の毒ですけれども、
     国全体からすると、やはり起こるべくして起こったのではないかと。
     
     50年以上前の話ですが、昭和34年、
     伊勢湾台風が発生して大きな被害がありました。
     
     中でも伊勢神宮は随分とやられました。
     
     古い大木が次々になぎ倒されて、
     宇治橋から正殿まで歩いて一時間もかかるくらい
     惨憺たるものでしたね。
     
     ただ、幸いに内宮も外宮も、木が外側に倒れたために
     損傷はございませんでした。

     安岡先生は常に私情を去って、
     天下国家を我がことの如くお思いになる方でしたから、
     この時に何か強く感じられたと思うんですね。
     
     
     『中庸』には
          
     「至誠の道は以て前知す可し。
      国家将に興らんとすれば必ず禎祥(めでたい兆し)有り。
      国家将に亡びんとすれば必ず妖げつ(妖しい兆し)有り」
      
     とあるが、伊勢湾台風は単なる自然現象ではなしに、
     天が日本人に警鐘を発しているのではないかと。
     それでその翌年に世直し祈願萬燈行大会を
     開くことを発意されるわけです。
 
     伊勢の聖地に二百数十名を集めましてね。
     
    「このままでは日本は将来、必ず禍根を残す」というので、
     一燈行を萬燈行へ広げようと呼びかけられました。
     先生は昭和58年に亡くなる年まで、
     世直し祈願にお顔を出されるんです。

【荒井】 「一燈照隅、萬燈照国」 

     という安岡先生の
     提唱の言葉がございますが、
     自らの周囲を明るく照らす人が増え、
     その数が万人になれば国中が明るくなる。

     それが誰もができる真の世直し行である
     という思いを込められたのですね。

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●安岡正篤師プロフィール
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 1898年~1983年。
 昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、
 中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、
 さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、
 昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。

 その東洋学に裏打ちされた該博な知識と
 人物としての魅力によって、日本のトップ・リーダーたちに、
 わが国の進むべき道を常に指し示してきた人物である。

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