まほろばblog

「震災の日の教え子たち」

7月 23rd, 2012 at 9:24

        

大友研也(福島県立長沼高等学校硬式野球部監督)

                『致知』2012年8月号
                  連載「致知随想」より

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その日、福島県立四倉高校の職員室では、
入試結果を判定するための会議が行われていた。
私が監督を務める野球部は昨年3月11日が練習試合の解禁日で、
そのための準備をちょうど終えた時だった。

異常なほどの激しい揺れを感じた瞬間、
グラウンドの地面が真ん中から裂け、
これは只事ではないと直感した。

直ちに大津波警報が発令され、
指定避難所である当校へ近隣の住民が駆け込んできたものの、
実際にどんな津波が来るかは見当もつかない。

野球部員たちは泣きじゃくる子供たちを抱え上げ、
懸命に宥めていたが、気がつくと
津波は目の前まで迫ってきていた。

まるで映画の一コマのように、
路上のマンホールの蓋が開き、
向こう側からスポーンッ! スポーンッ!
と順に飛び上がっていく。

幸いにも学校の入り口付近が坂になっていたため、
校内まで浸水してくることはなかったが、
私は交通整理や避難所の手伝いに追われ、
選手たちのほうにまったく目を向けている余裕がなかった。

彼らと離れる際、

「落ち着いて動かずにじっとしているように。
 家族の方と連絡がつき次第、家に帰ってもよい」

と伝えたが、気がつくと部員たちが自主的に

「こっちに逃げてください」

とお年寄りや子供たちに声を掛け、
3か所ある避難所へとそれぞれ誘導してくれていた。
途中で保護者の方数名が迎えに来られたが、

「皆がまだ頑張っているから」

と誰一人帰ろうともせず、
午後11時頃になって一段落するまで
ずっと物資やストーブの運搬などに当たっていた。

私はこの日の体験を通じて、人間は我が身が危険に晒されると、
本性が出てしまうものだと痛感した。

自分のことしか考えられず、
立ち入り禁止区域へ強引に踏み入ったり、
高台の道路へ飛び出して危うく轢かれそうになっている人たち。

一方、部員の中には自宅を流されてしまった子もいたが、
誰一人家族の元に戻りたいとは口にしない。
私のいない所でも、服の濡れたお年寄りに
自分のジャージを脱いで着せてあげるなどして喜ばれた、
といった話を後になってから聞いた。

あの大変な状況の中で、よくぞ周りの人のことを思い、
一所懸命働いてくれたという気持ちで胸が一杯になった。

思い起こせば、私が四倉高校に赴任したのは
6年前の30歳のこと。

最初は野球部とも呼べないような初心者ばかりの集まりだったが、
なんとか彼らをその気にさせてやりたいという思いで一杯だった。

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