まほろばblog

「いかにして人物となるか――

4月 13th, 2012 at 15:59

   伊與田覺先生97歳。

   これぞ完熟の人間学講義」

   『孔子の人間学』(致知出版社刊)より
         

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僕は「天命を知る」というのは
お釈迦様の悟りにも似た境地だと思います。
ただ、悟りを得るためには、
それまでのものをすべて投げ捨てないといけません。

学問もそうで、一生苦労して身につけたものを
捨て去るわけですから、これはなかなか難しい。
孔子もまた捨てきった時に天命を知ったのだと思います。

これは一般の人でも感じることがあると思うんですね。

元旦には人は瞬間的に自分を捨てているんです。

初詣をする時、我を捨てて新鮮な気持ちになることで
神様の心が分かる。
ただ、一般の人間はそれが続いても一週間くらいです。
二月、三月となるとかなり怪しくなり、
年末になるとズタズタです(笑)。

「これはやり直さんといかん」と思っていた時に
また正月がくる。

仏教でも十界という世界を説いていますね。

 地獄、

 餓鬼(がき)、

 畜生(ちくしょう)、

 修羅(しゅら)、

 人間、

 天上、

 声聞(しょうもん)、

 縁覚(えんがく)、

 菩薩、

 仏。

地獄から天上までの六つを六道(ろくどう)というんです。

六道輪廻といわれるように、
苦労して天上まで行ったかと思ったら、
気がつくと下に堕ちて元の木阿弥になっている。

菩薩は人間でありながら仏の修行をする人たちの境地で、
仏になるにはそれをもう一つ超えねばならない。
そして仏の世界に行くと本当の意味の自由が開ける。

様々な問題が起こっても適切な判断を下すことができる。
これは学問の世界からくるものではありません。

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今、TVで「恕の人『孔子』」が放映されています。

当時の文物等が如実に垣間見れて、大変参考になります。

埃に被った論語でなく、いきいきとした孔子像が現れてきます。

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