まほろばblog

「いまを生きたい」

11月 27th, 2011 at 12:07

       
                   
         菊池 和子 (写真家)

     
       『致知』2003年9月号
            致知随想より

─────────────────────────────

 
数年前、新しい小学校へ異動したばかりの頃のことです。
朝、車椅子を押した女性が昇降口を目掛けて走ってきました。

「おはよう!!」

「きょうもしんちゃんのことよろしくね!!」

その女性は校庭で遊ぶ生徒たちに明るく声を掛けながら、
ギュンギュンとものすごい速さで車椅子を押しています。

今度赴任する学校の六年生に「筋ジストロフィー」に冒された
「しんちゃん」という男の子がいることは聞いていました。
あの車椅子はしんちゃん親子だ。すぐに察しがつきました。

しんちゃんのお母さんはとにかく明るい人でした。
彼は二十四時間の看護を必要とします。
授業中はもちろん、自分の力で寝返りを打てない
しんちゃんのために熟睡せずに側にいるのです。

しかし、彼女はいつも元気で笑顔。
一度も疲れた顔や暗い顔を見せたことがないのです。

これまでの教師生活の中でも、
障害児とそのご家族と接する機会がありましたが、
しんちゃんのお母さんは少し違いました。

明るいというより、むしろ突き抜けている。

ありのままの息子を心から愛し、いまを楽しんでいるのです。

素敵だな。そう思いました。

そして、私は彼女に
「あなたの写真を撮らせてもらえない?」と申し出たのです。

しんちゃんと出会う少し前、私はいまで言う
「自分探し」をしていました。
四十代半ばにさしかかり、教師生活も折り返し地点を
過ぎてしまった。

わが子も手が離れ、これから自分が
一生取り組んでいけるものは何だろう――。

様々なことにチャレンジしながら、
最後に私の心を射止めたのは雑誌で見つけたこの言葉でした。

「写真もあなたの言葉です」

以来、写真を自分の表現手段と決め、昼間は教師をしながら、
夜間と土日に専門学校へ通って勉強を続けていました。

「旬の女」。

そんなテーマを設け、授業の空きがあれば
しんちゃんのお母さんを撮り続けました。

学校だけでは飽き足らず、家やしんちゃんの
かかりつけの病院にもついていきました。
しかし、お母さんを写すにも、隣にはいつもしんちゃんがいます。

自然と二人の写真が増えていきました。
ある日、二人の写真を専門学校の先生に見せると、

「お母さんも素敵だけど、しんちゃんの表情は
 なんとも言えない味があるね」

と言われました。

しんちゃんは、確かに味のある顔をしています。
生まれながら難病・筋ジストロフィーに冒され、
一度も立ったことがありません。

お医者さんには「恐らく長く持っても十五歳が限度」と言われ、
いつも死は隣り合わせです。

それでもしんちゃんはどんな時も
優しい微笑を浮かべています。
気がついたら、私のカメラはいつの間にか
しんちゃんへと向かっていました。

撮影を通して、私は筋ジストロフィーという
病気の恐ろしさを知りました。
次第に筋力が衰えていくこの病気は、
手足だけでなく、胃や肺、心臓などの内臓の筋肉までも
衰えていくのです。

食べることもままならず、ちょっと唾液が肺に入れば、
自分で吐き出す力もなく、それが原因で死ぬことだってありうる。

さらに、患者は何万人に一人と少数のため、
がんやエイズに比べて、真剣に治療法を
研究しようという人が非常に少ないといいます。

知れば知るほど、これほどまでに過酷な状況において、
なぜこの家族はこれほどまでに明るく、
ゆったりと構えていられるのか不思議でした。

私も子を持つ親です。
もしも自分が不治の病の子どもを持ったらどうだろうか……。

しかしある時気がつきました。
彼らは「明日がある」とは考えていません。

いつもいまを精いっぱい生きているのです。
しんちゃんが外に行きたいと言えば、
何をさておいても連れて行きます。

お寿司が食べたいと言えば、万難を排して連れて行き、
明日しんちゃんがいなくなっても
後悔しないようにしているのです。

彼が願うことをご両親は精いっぱい叶えてあげる。
それがこの家族の喜びなのです。

もしかすると五体満足の子を持った親は、
遠い将来を見すぎなのかもしれません。

大学に行くために小学生のうちから勉強させる。
スポーツをさせる。ひどい場合には
「隣の○○ちゃんが行っているから、あんたも塾に行きなさい」など、
勝手に親が焦り、子どもが望んでいないことをやらせる。
そこに子どもの意志はないのです。

私はしんちゃんが小学校を卒業するまでの一年間を
写真に収めました。
その間で多くの気づきと反省があり、そして転機がありました。

しんちゃんの写真が認められ、個展を開催するとともに、
写真集『しんちゃん』を出すことになったのです。

私は教職を辞して、写真家の道を歩む決意をしました。
やはり二足の草鞋では、どちらにも百%の力は注げません。
食べるだけならなんとかなる。

いまを精いっぱい生きたいという思いから写真に賭けてみたのです。

「後悔しないで生きる」。

口で言うのは簡単ですが、実践するのは
並大抵のことではありません。

しかし、しんちゃんとご両親の姿を見て、
自分も二度とない人生を懸命に生きたいと思っています。

今年の秋、しんちゃんは十六歳になります。
迫りくる死に臆することなく、
自分の命を燃やし続けるしんちゃん。

私も負けずに写真への情熱を燃やし続けたいと思います。

コメント入力欄

You must be logged in to post a comment.