まほろばblog

「私たちは気づかぬうちに周囲を照らしている」

12月 25th, 2013 at 8:27

鈴木 秀子(文学博士)

※『致知』2014年1月号
連載「人生を照らす言葉」より

DSC_0003[1]

 

『風立ちぬ』の主人公は、
大切な婚約者を結核で失い、
失意のどん底に落ち込みます。

そして、思い立ったように
婚約者と過ごした信州の別荘地を訪れ、
楽しかった思い出を探し求めるのです。

一人のドイツ人神父との偶然の出会いによって、
薄紙を剥ぐように心が軽くなっていく主人公ですが、
やはり時には、どこにもやり場のない感情が
湧き上がってくるのでした。

(中略)

失意の状態が続く中、
この別荘地にも
賑やかなクリスマスがやってきました。

しかし、主人公にはそれを楽しむ余裕がありません。
次の件からは、皆が笑顔で歓談する様子を、
一人陰鬱そうな表情で眺める姿が目に浮かんできます。

「夜、村の娘の家に招ばれて行つて、
寂しいクリスマスを送つた。
こんな冬は人けの絶えた山間の村だけれど、
夏なんぞ外人達が沢山はひり込んでくるやうな土地柄ゆゑ、
普通の村人の家でもそんな真似事をして楽しむものと見える」

主人公の心を変えるある小さな出来事が起きたのは、
まさにこのクリスマスの日でした。
ここはこの小説のとても大切な部分です。

「九時頃、私はその村から雪明りのした谷陰を
ひとりで帰つて来た。
さうして最後の枯木林に差しかかりながら、
私はふとその道傍に雪をかぶつて
一塊に塊つてゐる枯藪の上に、
何処からともなく、
小さな光が幽かにぽつんと落ちてゐるのに気がついた。

こんなところにこんな光が、
どうして射してゐるのだらうと訝りながら、
そのどつか別荘の散らばつた狭い谷ぢうを見まはして見ると、
明りのついてゐるのは、たつた一軒、
確かに私の小屋らしいのが、
ずつとその谷の上方に認められるきりだつた」

夏場、多くの外国人で賑わう別荘地も、
冬場はどこも閉じられていて夜は真っ暗です。

雪明かりを頼りに林の中を歩く主人公は、
ふとそこに小さな明かりが
射していることに気づきました。

その光のもとを辿っていくと、
紛れもなく谷の上方にある
主人公の小屋から漏れてくるものでした。

(中略)

風立ちぬA_w-thumb-550x368-5010[1]

主人公はここで初めて、
周りにある多くの光が自分を照らし、助け、
生かし続けてくれていることに気づきます。

そして、取るに足らない
ちっぽけな存在だと思っていた自分が、
実は気がつかないうちに遠くの存在を照らし、
知らない誰かの助けになっていることを知るのです。

クリスマスは苦悩する人類を救うために
神様が遣わしたイエス・キリストが降誕した日です。
それは同時に、神様が新しい人類の希望と、
人間一人ひとりがかけがえのない存在であるという
メッセージを送られた日でもあります。

「自分は一人で生きてきたように
思ってきたけれども、
そうではない。
自分を生かしてくれる多くの光に
包まれていると同時に、
自分もまた周囲を照らしながら生きている」

という主人公の気づきは、
クリスマスの美しい雪景色とも重なり合いながら、
読む者の心に静かに染み入ってきます。

* * *

その後、主人公はいかにして絶望から立ち直り、
人生の幸福へと辿り着くのか。

続きはぜひ『致知』1月号P102~をご一読ください。

※まだ『致知』をお読みでない方は、
この新年号(1月号)からのスタートをお勧めします

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