まほろばblog

Archive for 8月, 2013

つれづれと空ぞ見らるる思ふ人

土曜日, 8月 17th, 2013

これも数学者高瀬正仁氏の労作、評伝「岡潔」の大著『星の章』『花の章』に引き続き、

『虹の章「岡潔とその時代」』を『正法眼蔵』と『龍神温泉の巻』の二巻に分けて出版された。

その綿密なる詳細を極めたフィールドワークは驚くばかりで、圧巻である。

この集中力、求心力には頭が下がる。

若い頃の私のことが少し出ていたが、詳しい取材を受けていないのが惜しまれる。

その下巻、保田與重郎氏と胡蘭成氏と岡先生の談話の中で、

和泉式部の歌に及んだくだりがあった。

岡先生は、それまで万葉のみ認め、古今以下は認めないとしていたが、

この相聞歌には心打たれ、今までの見識を少し変えねばならないとまで漏らした一首であった。

それは、

つれづれと空ぞ見らるる思ふ人

          あまくだりこむものならなくに

(玉葉1467)

【通釈】つくづくと空が眺められるよ。恋しく思う人が天から降りて来ることなどありはしないのに。

【語釈】◇つれづれと じっと思いをこらすさま。

【補記】「ものならなくに」と否定してみたところで、天に焦がれる思いが消えるわけではない。『和泉式部集』(正集)の最初に収められた百首歌。

天地をも切り裂く切なる哀しみが、神代調の大いなる調べとなって、千年の時を超えて、読む人の心に迫るのであろう。

こういう歌ぶりは、今の世では叶わないのだろう。

オルターセンターにオーガニックCafeが

土曜日, 8月 17th, 2013

あの楠正成の本城で知られる千早赤坂に、オルターさんのセンター開設とともに、

オーガニックCafeがオープンした。

調理は、みな厳選されたオルター食材でまかなわれている。

 

オルター市

また、農業研修センターとしても活用され、展示即売スペースもあり、

料理にエリクサーも活用され、また展示試飲されているという。

お近くにお住まいの方は、是非一度お尋ねください。

オルター エリクサー

 

ココカラ市

土曜日, 8月 17th, 2013

 

kokoroiti 1

kokoroiti 2

 

 

「息子からの弔辞」

水曜日, 8月 14th, 2013
    井坂 晃(ケミコート名誉会長)

             『致知』2004年11月号
                連載「致知随想」より

└─────────────────────────────────┘

 この夏の七月二十九日、弔問のため九十九里に赴いた。
 弔問客は四十人くらいであったが、
 私にとってこの葬式は、抑えがたい悲しみと感動が相俟って、
 心に強く焼き付いた。

 故人は、当社社長・中川の義弟・菊崎氏である。

 中川の説明によると、故人は四十九歳。
 妻(中川の妹)、高校三年の息子、
 そして中学二年の娘を残して逝ってしまったのである。

 故人は二十五日日曜日の昼過ぎに、
 不運にも誰もいない自宅で倒れてしまったという。

 奥さんはその日たまたま仕事に出ていた。
 成東高校の三年生で、サッカー部のキャプテンを務める長男は、
 練習のためやはり出ていた。

 片貝中学二年の長女も、
 所属するバスケットボール部の活動で出かけていて、
 家族全員留守の間の出来事であった。

 私が中川からその知らせを受けたのは、
 翌二十六日の朝であった。
 午後には、通夜は二十七日の夜、葬儀は二十八日と決まったようだ。

 ところが、夕刻過ぎに再び中川から電話が入った。

  「実は、誰もいない所で死んだ場合は、
   司法解剖をしなければならないそうです。
   ですから、まだ葬式の日程を決められませんので、
   決まり次第また連絡いたします」

  とのことだった。

 司法解剖の結果、死因は心不全と分かった。
 日程を改め、通夜は二十八日午後七時、
 葬儀は二十九日午前十一時から行われることになった。

 その間、中川から菊崎氏の横顔を少し聞かされていた。
 北海道出身で、高校時代は野球部に所属し、
 優秀な選手であったこと。

 高校卒業後は野球ではなく、料理の修業のために
 ドイツへ三年間留学したこと。
 お酒が好きだったこと……。

 それにしても、四十九歳という若さで亡くなった
 本人の無念を思うと、心が痛む。

 二十九日は、小笠原諸島付近に大型の台風があって、
 珍しく西にゆっくり進んでいるとのことだった。

 その影響で、朝のうち房総半島は
 時折にわか雨に見舞われる悪天候だったが、
 十時前には雨も上がり、
 びっくりするほど澄み切った青空が広がった。

 真っ白な浮き雲、灰色の雨雲が、
 時折夏の強い日差しを遮りつつ勢いよく流れていった。

 十一時少し前に、葬式の会場である
 九十九里町片貝の公民館に入った。
 会場の大部屋は畳敷きで、棺の置かれた祭壇の前には、
 すでに遺族と親戚の方々が座していた。

 私は中川夫婦に黙礼をして後方に並んでいる
 折りたたみ椅子に腰掛けた。

 祭壇の中央では、故人の遺影が
 こちらを向いてわずかに微笑んでいる。

 ドキリとするほど二枚目で、
 その表情からは男らしさが滲み出ていた。

 会場には私のほかに高校生が五、六人、
 中学生の制服を着た女の子が数人、
 そして私のような弔問客が三十人くらい座していた。
 広間に並べられた座布団の席はまばらに空いていた。

 葬式は十一時ちょうどに始まった。
 右側の廊下から入ってきた二人の導師が座すと、
 鐘の音とともに読経が始まった。

 後ろから見ると、二人ともごま塩頭を奇麗に剃っていた。

 読経の半ばで焼香のためのお盆が前列から順々に廻されてきた。
 私も型通り三回故人に向けて焼香し、
 盆を膝の上に載せて合掌した。

 しばらくして全員の焼香が終わると、
 進行係の人がマイクでボソリと「弔辞」とつぶやいた。

 名前は呼ばれなかったが、
 前列の中央に座っていた高校生らしい男の子が立った。

 すぐに故人の長男であることが分かった。
 私には、彼の後ろ姿しか見えないが、
 手櫛でかき上げたような黒い髪はばさついている。
 高校の制服らしき白い半袖シャツと
 黒い学生ズボンに身を包み、白いベルトを締めていた。

 彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。

 「きのう……」。

  言いかけて声を詰まらせ、
  気を取り直してポツリと語り始めた。

 「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかなぁ」。

  少し間をおいて、

 「もちろん勝ったよ」。

 二十八日が葬式であったら、
  彼は試合には出られなかった。

 司法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。
  悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、
 「もちろん勝ったよ」の言葉の中に込められていたように思えた。

「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、
  犬と散歩している姿も見られないんだね」

 後ろ姿は毅然としていた。
  淋しさや悲しみをそのまま父に語りかけている。

「もうおいしい料理を作ってくれることも、
  俺のベッドで眠り込んでいることも、もうないんだね……」

 あたかもそこにいる人に話すように、

「今度は八月二十七日に試合があるから、上から見ていてね」

 その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙を拭っていた。

「小さい時キャッチボールをしたね。
  ノックで五本捕れたら五百円とか、
  十本捕れたら千円とか言っていたね。

  二十歳になったら『一緒に酒を飲もう』って言ってたのに、
  まだ三年半もある。

 クソ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」

 涙声になりながらも、ひと言、ひと言、
  ハッキリと父に語りかけていた。

「本当におつかれさま、ありがとう。
  俺がそっちに行くまで待っててね。さようなら」

 息子の弔辞は終わった。

 父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。

妙子さんの『大貫米』初出荷!!

火曜日, 8月 13th, 2013

201308burogu2_s1

 

シンガーソングライターの大貫妙子さんが作られた「あきたこまち」米を、

この度、まほろばで扱うことになりました。

無論、農薬・化学肥料無使用です。

秋田県三種町で、手ずから栽培し、モミのままで保存したもので、

劣化せずに鮮度が良く、きめ細かい優れた味わいです。

とはいっても、30kg原袋が4袋だけですので、 すぐ完売してしまいます。

今秋の新米の時期に、再びお知らせ出来ることを

楽しみに待ちたいと思います。

 

大貫米 写真

 

大貫妙子さんのブログ・『田植えの季節』より・・・・・・・。

2009.04.28UP

田植えの季節

photo by Kouji Sato

秋田でお米つくりを始めて、3年目になる。 それ以前は、栃木の田んぼへ手伝いに行っていた。 最初は慣れない格好で、筋肉痛になったけれど 今は身体が覚えてくれたようだ。 無農薬のお米を育てるのは大変だ。 何がって? 草取りが!! 農家の方は慣れているので、はやいことはやいこと。 秋田の三種町にある私の田んぼでは780キロのお米が 収穫できる。 我が家だけでは食べきれない量なので 友だちと分け合い、身近な知り合いにも買ってもらう。 それがえらく評判がいい。 私は玄米で食べるので、今までもいろいろ食べてきたが やはりいちばん美味しい。

田植え

三種町は「じゅんさいの里」で有名なところ つまり、水がいいのだ。 私の田んぼも山の際にある、じゅんさい畑を育てる水でお米をつくる。 早起きして、一仕事終えると 田んぼの持ち主の近藤さんの建てた山小屋での宴会。 どちらかと言えば、こっちが楽しい。 秋田といえば、やっぱり、きりたんぽ鍋。 じゅんさいや山菜がたっぷり入っている。 これをほんとのご馳走と言うのだ。

きりたんぽ鍋

そして、ご主人と飲む。延々と楽しく飲む。 飲んで話しも弾み、今年はさらに作付けを増やしてもらうことになった。 あっちからも、こっちからもの「お米がほしい」コールに答えて。 自分で育てたお米は愛おしい。 一粒たりとも無駄にできない。 お米さえあれば生きていける。 毎日の食事が幸せだ。 ちいさな宴会が終わると、近くの森岳温泉のお湯につかる。 これがまた至福の時間。 雨の時期をすぎ、夏の太陽の下で育ち、黄金色の稲穂が いちめんに広がる季節まで。

稲刈り

五月、今年も田植えの季節がやって来る

田植えの季節 その2

photo by Kouji Sato

どうしてお米作りをしているのかと聞かれたら おいしいお米を食べたいから、ということになる。 誰かがつくったおいしいお米は売っているし 買えばいいじゃない? ということになるのだけれど なんでもお金で手にいれることができる暮らしには もう飽きてしまった。 もっとも、なんでも手にいれることができるほど お金は持っていないけれど。 生きているかぎり、毎日毎日何かを食べる 今は東京に住んでいないので 外食もほとんどしないし、家で食事をつくる。 ほぼ毎日お米を食べている。 圧力釜で炊く玄米。 時間のある日は、マスタークックという鍋で炊く。 こっちの方がだんとつおいしい。 玄米は、かたくていやだという人がいるけれど 炊き方に問題があるのだと思う。 玄米を食べつづけていると、白米は食べた気がしない。 ごま塩と梅干しがあれば満足してしまうくらいだから 私にとって、おいしいお米は大切なのだ。

雨の田植え

今年の田植えは雨だった。 田んぼの主は 「こういう天気がちょうどいい」と言う。 確かに、日焼けもしなくていい。 自分が一年食べるためのお米をつくっているが といっても場所は秋田だから、つくってもらっているのを 年に数回、手伝いに行っているだけだけれど。 我が家だけでは消費しきれない分を知人におわけしている。 誰もが口をそろえて「とにかくおいしい!」 もっとわけてほしいと言う。

そこで、田んぼの主にお願いして 今年は、さらに新しい田んぼを増やしてもらった。 その場所が、さらに素晴らしい。

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私たちの田んぼ同様、じゅんさいの池があり 透き通る山の水が満ちていた。 お米は水だ! お酒も水だ! 人間の身体も水だ! 水は命の源だと、雨つぶが落ちる池を眺めながら 清々とした気持ちになった。

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MAYAフォルクローレ・コンサート

火曜日, 8月 13th, 2013

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滝本さんの農法

火曜日, 8月 13th, 2013

春に出荷される赤井川の滝本農園のアスパラ。

その苦心の跡を偲ばせる農法の苦労を語った報告書。

是非読まれて、来年の全国発送にご使命ください。

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やってみよう「地域通貨」学習会

火曜日, 8月 13th, 2013

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 「どん底の淵から私を救った母の一言」

火曜日, 8月 13th, 2013
         奥野 博(オークスグループ会長)

                『致知』1998年8月号
                  特集「命の呼応」より 

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【記者:昭和42年、40歳のときに経験された倒産が、
     今日の奥野会長の土台になっているようですね】

  倒産が土台とは、
  自分の至らなさをさらけ出すようなものですが、
  認めないわけにはいきません。

  戦後軍隊から復員し、商社勤務などを経て、
  兄弟親戚に金を出してもらい、
  事業を興したのは30歳のときでした。

  室内設計の会社です。
  仕事は順風満帆でした。
  私は全国展開を考えて飛び回っていました。

  だが、いつか有頂天になっていたのですね。
  足元に忍び寄っている破綻に気づかずにいたのです。
  それが一挙に口を開いて。

【記者:倒産の原因は?】

 「滅びる者は、滅びるようにして滅びる」

  これは今度出した本の書き出しの一行です。

  倒産の原因はいろいろありますが、
  つまるところはこれに尽きるというのが実感です。
  私が滅びるような生き方をしていたのです。

  出資者、債権者、取引先、従業員と、
  倒産が社会に及ぼす迷惑は大きい。
  倒産は経営に携わる者の最大の悪です。

  世間に顔向けができず、私は妻がやっている
  美容院の2階に閉じこもり、
  なぜこういうことになったのか、考え続けました。

  すると、浮かんでくるのは、
  あいつがもう少し金を貸してくれたら、
  あの取引先が手形の期日を延ばしてくれたら、
  あの部長がヘマをやりやがって、
  あの下請けが不渡りを出しやがって、
  といった恨みつらみばかり。

  つまり、私はすべてを他人のせいにして、
  自分で引き受けようとしない
  生き方をしていたのです。

  だが、人間の迷妄の深さは底知れませんね。
  そこにこそ倒産の真因があるのに、
  気づこうとしない。

   築き上げた社会的地位、評価、人格が倒産によって
  全否定された悔しさがこみあげてくる。

  すると、他人への恨みつらみで
  血管がはち切れそうになる。
  その渦のなかで堂々めぐりを繰り返す毎日でした。

【記者:しかし、会長はその堂々めぐりの渦から抜け出されましたね】

  いや、何かのきっかけで一気に目覚めたのなら、
  悟りと言えるのでしょうが、凡夫の悲しさで、
  徐々に這い出すしかありませんでした。

【記者:徐々にしろ、這い出すきっかけとなったものは何ですか?】

  やはり母親の言葉ですね。

  父は私が幼いころに死んだのですが、
  その33回忌法要の案内を受けたのは、
  奈落の底に沈んでいるときでした。

  倒産後、実家には顔を出さずにいたのですが、
  法事では行かないわけにいかない。
  行きました。

  案の定、しらじらとした空気が寄せてきました。
  無理もありません。

  そこにいる兄弟や親族は、
  私の頼みに応じて金を用立て、
  迷惑を被った人ばかりなのですから。

【記者:針の莚(むしろ)ですね】

  視線に耐えて隅のほうで小さくなっていたのですが、
  とうとう母のいる仏間に逃げ出してしまいました。

【記者:そのとき、お母さんはおいくつでした?】

  84歳です。

  母が「いまどうしているのか」と聞くので、
 「これから絶対失敗しないように、
  なんで失敗したのか徹底的に考えているところなんだ」
  と答えました。

  すると、母が言うのです。

 「そんなこと、考えんでもわかる」

 私は聞き返しました。

 「何がわかるんだ」

 「聞きたいか」

 「聞きたい」

 「なら、正座せっしゃい」

  威厳に満ちた迫力のある声でした。

(八十四歳のお母さんが)

 「倒産したのは会社に愛情がなかったからだ」

  と母は言います。

  心外でした。

  自分のつくった会社です。

  だれよりも愛情を持っていたつもりです。

 母は言いました。

 「あんたはみんなにお金を用立ててもらって、
  やすやすと会社をつくった。

  やすやすとできたものに愛情など持てるわけがない。

  母親が子どもを産むには、死ぬほどの苦しみがある。

  だから、子どもが可愛いのだ。

  あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
  だから、あんたが一番可愛い」

  母の目に涙が溢れていました。

 「あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
  だから、あんたが一番可愛い」

  母の言葉が胸に響きました。

  母は私の失態を自分のことのように引き受けて、
  私に身を寄せて悩み苦しんでくれる。
  愛情とはどういうものかが、痛いようにしみてきました。

  このような愛情を私は会社に抱いていただろうか。
  いやなこと、苦しいことはすべて人のせいにしていた
  自分の姿が浮き彫りになってくるようでした。

 「わかった。お袋、俺が悪かった」

  私は両手をつきました。

  ついた両手の間に涙がぽとぽととこぼれ落ちました。
  涙を流すなんて、何年ぶりだったでしょうか。
  あの涙は自分というものに
  気づかせてくれるきっかけでした。

今年も「芸森ハーベスト」、大貫さん唄います!

月曜日, 8月 12th, 2013

芸森ハーベスト

 

今年も「wine & music  芸森ハーベスト」開催します! 好評につき、今年は 2days で実施! おとなの音楽収穫祭を自然溢れる環境で、ゆっくり味わいませんか? 昨年の様子はこちら

<日時>

2013年 9月21日(土)、22日(日) ☆21日 open start 11:00 close 21:00予定 ☆22日 open start 11:00 close 18:00予定

<会場>

芸森スタジオ(札幌市南区芸術の森3丁目915-20)

<チケット料金>

◯前売券¥5,000(税込 ¥1,000分の買い物チケット付) ◯当日券¥5,500(税込 ¥1,000分の買い物チケット付) ◯2日間通し券¥9,000(税込 ¥2,000分の買い物チケット付) ※中学生以下無料 ※臨時バス随時運行:真駒内駅〜芸森スタジオ間 片道 ¥500 ※臨時バス随時運行:真駒内駅〜芸森スタジオ間 片道¥500 時間帯等詳細は追って発表します ※大型無料駐車場有り

<チケット発売日>

2013年 8月10日(土)

<チケット取扱い場所>

ローソンチケット Lコード 16455、チケットぴあ Pコード 209-846、e+、大丸プレイガイド、芸森スタジオにて発売

<出演アーティスト>

2013年 9月21日 大貫妙子 with 小倉博和 & 林立夫、MITCH、and more! 2013年 9月22日 大貫妙子 with 小倉博和 & 林立夫、福居良、MITCH、山木将平、and more!

21・22日出演アーティスト

【大貫妙子 with 小倉博和 & 林立夫】

 

大貫妙子さん白い服

大貫妙子

1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。75年に日本初の都会的ポップスの名盤『ソングス』をリリースするも76年解散。日本のポップ・ミュージックにおける女性シンガー&ソング・ライターの草分けのひとり。その独自の美意識に基づく繊細な音楽世界、飾らない透明な歌声で、多くの人を魅了している。CM・映画音楽関連も多く、映画「Shall weダンス?」(監督:周防正行 96年)のメイン・テーマや、映画「東京日和」の音楽プロデュース(監督:竹中直人 第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞)、映画「人間失格」劇中歌「アヴェ・マリア」(歌唱)や映画「マザーウォーター」主題歌(作詞・作曲・歌唱)など数多く手がけている。南極も含む 6大陸を旅した経験や、日々の暮らしの視点から、環境、エネルギー、食料などの問題についての発言も多く、農作業や、東洋医学に基づく健康管理を実践するという行動派でもある。今年デビュー40年の記念の年を迎え、エッセイ集の出版や、さまざまなライブ出演が予定されている。大貫妙子ホームページ

小倉博和

1960年香川県高松市生まれ。1982年ビデオの音楽、コマーシャルなどに楽曲を提供。プロとしての活動を始める。1990年桑田佳祐に才能を見いだされ「稲村ジェーン」音楽に参加。1994年桑田佳祐ソロアルバム「孤独の太陽」で全編にわたりサポートをする。その年の日本レコード大賞においてシングル「月」で日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞を受賞した。1998年佐橋佳幸とのギター・デュオ 山弦  1st アルバム「JOY RIDE」リリース。JAPANESE FUSION SELCTION ベスト・レコード賞を受賞。これまでに 5枚のオリジナル・アルバムそしてLIVE DVD、アナログボックスをリリースしている。2005年小林武史、Mr.Children の櫻井和寿を中心に結成された Bank Band のメンバーとして、毎年静岡県つま恋にて開催される「ap bank fes」に参加。桑田佳祐、大貫妙子、福山雅治、槇原敬之など数多くのアーティストからの信望も厚く、スタジオ・ミュージシャン、作・編曲家・プロデューサーとして活躍する傍ら、近年では、ナチュラルハイ等、多くのフェスに単身参加し、観客を魅了するなど活動の場を広げている。

林立夫

1951年5月21日生まれ。東京都出身。AB型。1972年、細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆とキャラメルママを結成。のちにティンパンアレーと名を改め、ユーミン、吉田美奈子、いしだあゆみ他数多くのアルバムをプロデュース。70年代半ばに大村憲司、村上秀一、小原礼らとバンブーを結成。その後パラシュート、アラゴンなどバンド活動と共にスタジオミュージシャンとして数千曲のセッションに参加。2000年に細野晴臣、鈴木茂と Tin Pan を結成、アルバムリリース。 現在は、札幌でライフスタイルイベント『ttc』を主催する他、大貫妙子、小坂忠らとライブを楽しんでいる。

【MITCH】

13才よりトランペットを始める。
宮村聡、奥田章三、河村直樹 各氏に師事。1993年大阪音楽大学在学中に BLACK BOTTOM BRASS BAND を結成。1996年にポニーキャニオンよりメジャーデビュー。

国内外の様々なアーティストとの共演、ツアー、レコーディングに参加。

MITCH個人では1996年~2000年までKBS京都、FM-COCOLO、FM滋賀でラジオのDJとしても活躍する。2000年、BLACK BOTTOM BRASS BANDを脱退し、単身New Orleansへ渡る。現地ではTREME地区(6th ward)を拠点にセカンドラインパレード、ブロックパーティー、Tuba Fatsとのストリートライブに日々参加し、地元のコミュニティーに深く溶け込んだ生活を送る。 Newbirth Brass Band, Lil’Rascals Brass Band, Russell Batiste Band, All Thatなど、各バンドのレギュラーメンバーとしてクラブ、ツアー、セカンドライン、葬式、ジャズフェスティバル等で演奏。Ghetto の黒人社会の中で様々な経験を積み、音楽の幅を広げ、タフさを身に付けた。2000年以降、1年の半分は New Orleans で生活する。2002年 初ソロアルバム「MITCH」をリリース。2003年 京都市芸術文化特別奨励者に選ばれる。2004年春、公開の映画「この世の外へ~クラブ進駐軍」(阪本順治監督)では萩原聖人、オダギリジョー、村上淳、松岡俊介らとともに主演グループの1人に抜擢され映画デビュー。役作りのために短期間で体重を10kg以上減量し、麻薬に溺れて死んでいくジャズトランペッター浅川広行役を見事に演じている。
2008年 2ndアルバム「MITCH ORLEANS」をリリース。 河内音頭 本家鉄砲節 鉄砲光丸師に弟子入り。音頭取り「河洲虎丸」としても修行中

22日出演アーティスト

【福居良】

1948年 平取町生まれ。18歳でアコーディオンを始め、22歳の時ジャズピアノを始める。1976年 1stアルバム『Scenery』。1977年に 2ndアルバム『Mellow Dream』を発表。1982年上京し、自己のトリオで新宿ピットイン・吉祥寺サムタイム・名古屋ラブリー等で活動。1986年 帰札。1989年 パリのジャズクラブ「ル・プティ・オポルチュン」に招かれ、1週間出演し好評を博す。1991年 HTB-TV「スクリーンHOT情報」にレギュラー出演。1995年 3rdアルバム『MY FAVORITE TUNE』発表。また、この年バリー・ハリス(p)のレギュラーメンバーであるリロイ・ウィリアムス(ds)ライル・アトキンソン(b)を招き、スーパートリオコンサートを主催。1996年 HBC-TV「オホーツク厳冬紀行」出演。山形県蔵王ジャズフェスティバルにスーパートリオで出演。1999年 4thアルバム『福居良 in New York』を発表。

【山木将平】

1989年札幌生まれのソロアコースティックギタープレイヤー。13歳よりギターを弾き始め、インストとブルースにのめり込む。オープンチューニングやスラッピング、タッピングなどの特殊奏法を用いて作曲・演奏活動を行っている。2010年 SAPPORO CITY JAZZでベストプレイヤー賞受賞。2011年 1st Album「NORTH WIND」リリース2012年 2nd Album「The Next SHOw Time」リリース2012年 7月『SAPPORO CITY JAZZ 2012 WHITE ROCK MUSIC TENT LIVE』出演(SOLD OUT) 2012年 8月『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO』出演(BOHEMIAN GARDEN)現在、日本だけに留まらず、定期的に世界各国でライブ活動を行なっている。

<出店舗>

近日第一弾発表!お楽しみに!

<主催>

芸森ハーベスト実行委員会

<協賛>

HAJ(株)北海道アルバイト情報社

<協力>

芸森スタジオ、(株)WESS、札幌国際短編映画祭、他

<お問合せ>

芸森スタジオ 011-206-7355(月〜金 10:00-18:00)