まほろばblog

Archive for 12月, 2012

「お母さんから命のバトンタッチ」

土曜日, 12月 29th, 2012

     鎌田 實 (諏訪中央病院名誉院長)

                 『致知』2012年7月号
                  読者の集いより

└─────────────────────────────────┘

僕が看取った患者さんに、
スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。

余命3か月と診断され、
彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。

「先生、助からないのはもう分かっています。
  だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、
黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、

「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
 卒業式を母親として見てあげたい」

と言うんです。

9月のことでした。
彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。

子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。

奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、
例えば希望を持って生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が
活性化するという研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある
見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を
活性化させたのではないかと思います。

さらに不思議なことが起きました。

彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で、下の子が高校2年。

せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと
僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、
1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を
見てあげることができたんです。

そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと
言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、
 私たちにお弁当を作ってくれました」

と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、
もうその時は立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、

「じゃあ家に布団を敷いて、
 家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」

と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。

「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。
 そのおむすびを持って、学校に行きました。
 久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

 昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
 切なくて、切なくて、
 なかなか手に取ることができませんでした」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。

でも、命は長さじゃないんですね。

お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。

人間は「誰かのために」と思った時に、
希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって
免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。

 「よい俳句を作る三つの条件」

水曜日, 12月 26th, 2012

   『致知』2010年3月号
                 特集「運をつかむ」総リードより

└─────────────────────────────────┘

「功の成るは成るの日に成るに非ず。
 けだし必ず由って起る所あり。
 禍の作るは作る日に作らず。また必ず由って兆す所あり」

蘇老泉の「管仲論」にある言葉である。

人が成功するのは、ある日突然成功するわけではない。
平素の努力の集積によって成功する。
禍が起こるのも、その日に起こるのではない。
前から必ずその萌芽があるということである。

運をつかむのもまた、同じことだろう。

宝くじを当てる。これは運をつかむことだろうか。
棚ぼた式に転がり込む幸運というのは、
得てしてうたかたのごとく消え去るものである。
ことによると身の破滅にもなりかねない。

運をつかむには、運に恵まれるに
ふさわしい体質を作らなければならない。

言い換えれば、運を呼び寄せ、
やってきた運をつかみ取るだけの実力を養わなければならない、
ということである。

そういう意味で忘れられない言葉がある。

よい俳句を作る三つの条件である。
どなたの言葉かは失念したが、初めて目にした時、
胸に深く響くものがあった。

その第一は、強く生きること。

強く生きるとは、「主体的に生きる」ということだろう。
状況に振り回されるのではなく、
状況をよりよく変えていく生き方である。
「覚悟を決めて生きる」と言い換えることもできよう。

一道をひらいた人は一様に、強く生きた人である。
例えば、江戸後期の儒者、頼山陽は十三歳の正月に、
こういう覚悟を決めている。

「十有三春秋 逝く者はすでに水の如し
 天地始終なく 人生生死あり
 いずくんぞ古人に類して千載青史に列するを得んや」

(もう十三歳になってしまった。
 時間は流れる水のように過ぎていく。

 天地には始めも終わりもないが、人間は必ず死ぬ。
 どうしたら昔の偉い人と並んで
 歴史にその名を留めることができるだろうか)

 小卒で給仕から大学教授になった田中菊雄氏の言葉。

「一生の間にある連続した五年、本当に脇目もふらずに、
 さながら憑かれた人のごとく一つの研究課題に自分のすべてを集中し、
 全精力を一点に究める人があったら、その人は何者かになるだろう」

 こういう信念、姿勢が、強く生きる人格のコア(核)になる。

第二は、深く見る。

強く生きることで初めて視点が定まり、深く見ることができる。
深く見るとは本質を見抜くことである。
状況を見抜くことでもある。ここに知恵が生まれる。

第三は、巧みに表す。

巧みに表すことは大事である。
分野を問わず、技術、技巧なくしてよいものは作れない。
だが、それだけではよいものは作れない。

強く生きる信念、深く見る姿勢があって、初めて技巧は生きてくる。

この三条件はそのまま、よい運をつかむ条件である。

「弱さと悪と愚かさとは互いに関連している。
 けだし弱さとは一種の悪であって、弱き善人では駄目である」

哲学者、森信三師の言葉である。
運をつかむ道は人格陶冶の道であることを、哲人の言は教えている。

サンタケーキ!!

月曜日, 12月 24th, 2012

今、日がたっぷり暮れて、雪がシンシンと降っています。

正に、聖夜ですね。

クリスマスケーキの台、2台分残ったので、急遽今作ったそうです。

やっと店売りが叶いました。

でも、後時間は、僅かに残されただけで、間に合いますか。

サンタさんの陶器入り、1個¥350です。

これも可愛いですね。

子供さん、大喜びですね!!

まほケーキ、出来ました!

月曜日, 12月 24th, 2012

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今日は、「クリスマス・イブ」。

今晩、皆さんの家庭で楽しみにしているパーティー。

今年も、まほろばでは、オリジナルケーキの予約を承りました。

金曜日から、ソフテリアで「クリスマス・ケーキ」作りが始まりました。

大和さんと加藤さんは、早朝から晩遅くまで、一心にケーキに取り組んでいます。

残念ながら、予約のみで、店頭売りはないのですが、

材料の質や技術の高さを知って頂きたく思います。

とにかく、素晴らしい仕上がりと味は、絶妙です。

そして、いのちの角度「五芒星」を象っています。

オーガニックJAS薄力粉、オーガニックココア、オーガニック抹茶、オーガニックバニラエッセンス、

一二三糖、有精卵、よつば生クリーム・牛乳、無塩醗酵バター、さちのか苺などなどが原材料です。

この冬場、ほぼ同じ材料で、ショートケーキが販売されますので、お楽しみに。

フランスのオーガニック・コニャクの会社が倒産したため、全くブランデーが入荷しなくなりました。

ところが、イタリアのオーガニックで透明な「グラッパ」(45%アルコール)が年末入荷予定です。

次回から、これを使って行きたいと思います。

隣の焼き釜の部屋では、宮本さんが黙々とチーズパンを作っておりました。

真っ暗闇の早朝から一人、コツコツと頑張ってきています。

彼と小島さん、西巻さんのお蔭で、美味しいパンが食べられます。

改めて、ありがとう!!

全国から、引き合いが沢山来るほど、ファンが多いです。

午後には売り切れ状態が続いています。

大きくしようとは思いませんが、万度に当たるように精一杯努力しています。

益々応援のほどをお願いいたします。

クリスマスパンも、今日明日出ていますよ。

http://ameblo.jp/newsofte/

奇跡の「オーロラ・ヴォイス」

月曜日, 12月 24th, 2012

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過日、まほろばにピアニストのウォンさんご夫妻とご一緒に来店されたのが、

十勝在住の吉野大地さんだった。

その時初対面で、何をされる方なのか、全く知らされていなかった。

ウォンさんとコラボでCDを出され、ガイアシンフォニーのエンディングテーマを唄われたとか。

(左から2番目が吉野さん)

その後、ご紹介して下さった緒方紀子さんから大地さんのご紹介とCDが届いたのだ。

それを聴いて、その歌声の裏にある魂の響きに、圧倒されるほど驚愕したのだった。

それは、多分にインドのバジャン(讃美歌)に私も、

ある種の懐かしさ、「霊の郷愁」を感じさせる深さだったからに違いない。

その後、どういう訳か、店内のバック音楽が、いつも大地さんの歌声が鳴り続けた。

それは事務所の女性陣が皆魅せられて、いつも何度も繰り返しかけるからだった。

ある日、フト気付くと、カフェ・ソフテリアで、昼時になると必ずと言っていいほど、

珈琲とパンを注文して、しばらく休んでいらっしゃる女性がいた。

その方は、私の自宅近くの小柴さんだった。

来る日も、来る日も、じっと窓の外を眺めながら静かにされている。

それで、ようやく気付いたことがあった。

それはその際、必ず大地さんの音楽が店内に流れていたことだった。

何故、毎日いらっしゃるのか、その理由をお尋ねした。

すると、「この音楽で、私は癒されているの」と語り始めた。

聞くと、昨年夏、12時間にわたる大手術を行い、2日間人事不省で昏睡状態だったという。

その間、何があったか、その消息はつまびらかでないが、

人生観を大転換する何かが起こった。

その後、まほろばに通い、大地さんのCDを聴くようになってから、

「生きている歓び、生かされている尊さ」を、魂の奥底より感じられるようになったという。

それで、知人にこのCDを贈り、自分も厭かず、聞き続けた。

すると、体調がどんどん良くなって見違えるように元気になられたのだ。

この日、札幌の2箇所で、大地さんのコンサートがあり、その合間をぬって、

まほろばへボランティアということで、特別出演して下さったのだ。

唄う環境は全く整えられてなく、マイクもなし、

ゆかりちゃんの電子ピアノを借りてのお粗末な舞台ながら、

その生声にみな魅せられ感動してしまった。

カウンターテナーは、女性声部のソプラノやアルトなどを男性が歌うのだが、

吉野さんのハイトーンは、「オーロラボイス」といわれる特殊な声質なのだ。

コンサートで聴いた、数々の曲は、みな心を洗い清め、清浄な世界に誘うものだ。

最後の『とびら』の曲などは、次代を開くかのような霊感あふれる旋律で感極まった。

中ほどで聴いたバジャンの「シュリ・クリシュナ・・・・・・」の朗詠は、

紛れもない神を讃える内容で、その古典音楽の真髄に触れた思いだった。

まるで本場インドの聖廟で聴くかのような昇天する高揚感であった。

そして、彼の存在が、国内外でもっともっと知れ渡る日も近かろうと感じたのだ。

先頃、上村松園女史のことを書いたが、その志は、

『彩管報国』「絵筆を以て、人を救う」であった。

これと同じく、大地さんの歌声を以て、人を救うということは、大それたことではない。

党利党略の政治では世は救えない。

心の光明でしか人は救えないのだろう。

きっとそのような命を受けて生れてこられた、稀有の方だと信じる。

http://www.turiya-music.com/ (オフィシャルサイト)

「聖なる空間」:¥2.950

銀河の歌声(オーロラ・ヴォイス)吉野大地の待望のアルバム第二弾。

アメージンググレース、アヴェマリア、シュリクリシュナ、即興など、珠玉の全10曲収録。

Sacred Space いつもそこにつながっていたい …
Sacred Space 自分の中に 生まれる前から ずっとある場所 …
〜ライナーノーツより〜

「バジャン 印度讃美歌集」¥2.700

インドでは神様に捧げられた歌をバジャンと言います。

初めて聞いたときから、バジャンは私にとっては特別なものでした。

その歌の持つ神聖なエネルギーに惹かれ、バジャンに出会ってから約10年バジャンを歌ってきました。

このCDはそんなバジャンを吉野大地の歌でお届けします。

(・・・・すみません。・・・・

動画の中で、寄付金箱のお金が気になられる方がいらっしゃるかもしれません。

それは、「東日本大震災支援」と「興農ファーム再建」に対するものです。

改めてこの場を借りて、感謝申し上げます。ありがとうございました。  )

「天何をか言うや、四時行われ百物生ず」

月曜日, 12月 24th, 2012

 安岡 定子 (安岡活学塾 銀座・寺子屋こども論語塾専任講師)

          『致知』2012年12月号
           連載「子供に語り継ぎたい『論語』の言葉」より

└─────────────────────────────────┘

今回は、私が大好きな章句を取り上げたいと思います。

 子曰わく、予(われ)言うこと無からんと欲す。

 子貢曰わく、子如(も)し言わずんば、則ち少子何をか述べん。

 子曰わく、天何をか言うや、

 四時(しじ)行われ百物(ひゃくぶつ)生ず。

 天何をか言うや。

孔子はある時、「私はもう何も語るまいと思う」とおっしゃいました。
これに対して弟子の子貢が

「先生がもし何もおっしゃらなければ、
 私どもはどうして先生の教えを学び、
 伝えることができるでしょうか」

と質問します。

すると孔子は

「天は私たちに何を言っているか考えてみなさい。
 春夏秋冬の四季は巡っているし、
 万物は自ら成長しているではないか。
 天は私たちに何を言っているだろうか」

と応じるのです。

   (略)

頭脳明晰で雄弁家の子貢は孔子を唯一の師と仰ぎ、
教えを聴き、それを分かりやすく噛み砕きながら
若い弟子たちに伝えていたことでしょう。

それだけに「私はもう何も語るまいと思う」という一言には
大いに驚き、困惑したに違いありません。

そういう子貢の心を既にお見通しだった孔子は

「自分が何かを語らなくても、
 自然は変わることなく四季は巡ってくる。
 天は何を言おうとしているのか考えてみなさい」

と投げ掛けたのだと思います。

二宮尊徳翁の道歌に

「音もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は 
 かかざる経をくりかへしつつ」

とあるように、大自然は無言のまま私たちに
多くの教えを授けてくれています。

孔子もまた,優秀で頭でっかちな子貢に、
たとえ言葉はなくても見る目さえあれば
真理はいくらでも発見、吸収できることを伝えようとされたのです。

もう一つ、別の観点から捉えれば
「私をもっとよく観察してごらん」
という孔子のメッセージと受け取ることができます。

自分がどういう思いでこの言葉を発しているか、
こういう行動をとったのか、
優秀な子貢なら察することができるはずだよ、
という弟子の成長を願う孔子ならではの
深い思いやりだったのかもしれません。

自分の考えを熱く語る一方で、
弟子との間でこのような情緒的なやりとりを
さりげなく行っているところ。

これもまた孔子の魅力の一つです。

「人生を劇的に変えるユダヤの教え」

日曜日, 12月 23rd, 2012

   星野 陽子 (翻訳家)

                『致知』2012年12月号
                       致知随想より

└─────────────────────────────────┘

若い頃の私はどちらかと言えば控えめな性格で、
大人しく、人生に対する姿勢もまるっきり丸腰だったと思います。

しかし、私は変わりました。
私を変えたもの――それは約十年におよぶユダヤ人夫との結婚生活です。

出会いはひょんなことからでした。
当時シティ・バンクに勤めていた私は、
お客様として来店した彼と知り合い、
友人たちを交えて親しくなって交際に発展、
結婚に至りました。

結果的に十年で破局しましたが、
その鮮烈で濃密な時間に身につけた「ユダヤ的思考」が、
現在、約六億円の不動産資産等を築いた
自分のベースになっていると思います。

ユダヤ人には、例えばロスチャイルドや
投資家のジョージ・ソロス、
あるいは映画監督のスティーブン・スピルバーグなど
世界的な成功者が数多くいます。

なぜユダヤ人の多くは事業等で成功し、
富を得ることができるのでしょうか。

まず、彼らはお金に対してネガティブなイメージがありません。
ユダヤ教ではお金は神からの祝福とされていますから、
素直にお金を尊び、手に入れようと努めます。

一方、日本でお金持ちの代表例といえば
時代劇の越後屋。腹黒く、悪事を働き、
最後は成敗されます。

多くは清貧の思想こそが美しく、
お金は「持ち過ぎると身を持ち崩す」
「親族との争いの種になる」など、
一種の心理的ブロックが掛かっています。

富裕層であっても日本人は
「年収は三千万円もあれば十分だ」と言いますが、
ユダヤ人に「これで十分」というリミットはありません。
稼いだお金で他者を助けるという大義があるからです。

彼らは収入を得始めた当初から年収の十%を慈善に回します。
施しは十倍になって戻ってくるという教えがあるため、
皆、喜んで寄付するのです。

また富を得た人は妬みやバッシングではなく、
尊敬の対象となります。

人びとは彼らを訪ね、どうすれば自分も後に続けるかを聞き、
成功者たちも自分の体験や知識を余すところなく教えます。
よって常日頃から「お金に関する会話」が
当たり前に繰り広げられています。

これは私が日本で家を建てた時の話です。
日本の友人たちは「素敵なお家ね」「木の香りが心地よい」
などと言うのに対し、ユダヤ人の友人たちは
「土地はいくら?」「ローンは?」「総額は?」
と聞いてきます。

日本人は失礼な質問だと感じるかもしれませんが、
彼らにとっては有意義な情報交換。
そのくらいオープンなのです。

一般的にユダヤ人の成功の根底には
「タルムード」と呼ばれる教えがあるといわれます。
しかし私はその内容よりも、それを
“自分はどう考えるか”と議論することが、
彼らの成功の下地ではないかと感じています。

彼らは幼少の頃から議論の訓練を
日常的に行ってきているので、
自分と反対の意見を言われて腹が立つということはありません。

むしろ、新しく革新的な考えを好み、
それによってより深く、
熱く議論を戦わせることを楽しみます。
もちろんそれが終われば仲良しに戻ります。

十年の結婚生活でとにかく元夫に言われたことは
「why?」であり、「think!(考えろ)」です。

「なぜ日本で贈り物をもらったら半額分を返すのか?」

「風習だから……」

「君はそれが正しいと思うのか。だいたいなぜ半額なのか?」

と、こちらがきゅうきゅうとするほど問い詰められます。

また、すべて戦略を持っています。
夫婦であっても何気ないおしゃべりではなく、
すべてに「考え」がある。

例えば彼が家事をやりたくないとすれば、
それを前提に会話を仕掛けてくるので、
考えなしで受け答えをしていると、
いつの間にか私がせざるを得ない状況になっている。
そんなことがよくありました。

そういった背景には、やはり迫害に遭い、
長い間祖国を失った歴史があるのだと思います。

ある日、テレビで「イスラエル人が二人死亡」
というニュースが流れました。

彼は「これは嘘だ。なぜなら……」
と自分なりの解釈を述べていましたが、
どんな時でも人の意見を鵜呑みにせず、
自分の頭で考え、納得しなければ信じない。

仮にそれで自分が命を失うことになっても
すべては自己責任。
逆に言えば、自分の運命を他人に委ねることはしないのです。

離婚後、私はフリーランスで翻訳の仕事をしながら、
投資によって資産をつくりました。

しかし、もともとは特許翻訳者の会社で
翻訳と雑務のアルバイト、
とてもフリーで仕事をする自信はありませんでした。

帰国子女でもなく、特許法に関する知識もなかったからです。
そんな時、私はユダヤの教えを思いました。

自分でリミットを設けない。自分の運命を他人に委ねない。
それで降りかかるリスクは自分で背負おう  。

フリーになると決心し、行動を始めたら
次第に周囲が変わっていきました。

パソコンやコピー機など
仕事に必要な器材一式を譲ってくれる方が現れたり、
家族や友人が子供の面倒をみると申し出てくれるなど、
応援の手を差し伸べてくれるようになったのです。

もしかすると、私たちは積極的にではないにせよ、
「普通に考えれば無理だよね」と
周囲の情報に流されて制限を設け、
受け身で生きているのかもしれません。

自分の運命は自分で切り開く。
その覚悟を決めて、一歩踏み出すだけで
人生は劇的に変わります。

ユダヤの教えは丸腰で平凡だった私の人生を
大きく変えてくれたのでした。

日々に新たに・・・・・

土曜日, 12月 22nd, 2012

昨日は、「世の終わりの日」なので、何か遺言でも書かねば、

と思っていたが、年末多忙で果たせなかった。

ところが、何とも生きていた(笑)。

すると、TVで22日説もあるようで、今日で皆様とお別れかもしれない(苦笑)。

よくよく、この手の話しには、人は惑わされるのが好きらしい。

「1999年・・・」のノストラダムスには、何と30年間も世界が付き合わされた。

2000年問題もそうだった。

2012年は3度目の正直だったが、フォトンベルトがどこかに襲って来て、

どうにもならなかったばかりか、皆年末の慌しさに、吾を忘れて働いている。

孔子は、鬼神を遠ざけ、流言飛語に惑わされぬことを諌めた。

マヤ暦は、新しき世界の扉を開いた、とあるらしい。

そう、湯王の「日に新たに、日々に新たに」という心境で、毎日を過ごしたいものだ。

新しい門出は、いつも良いものだ。

「京都三題」と禅

土曜日, 12月 22nd, 2012

自然医学の原稿「京都三題」を書き上げて、今校正中。

8月、「うさと」のフェステバルに参加した際の2日間、

大忙しで取材を兼ねて市内を周り、思いを書き綴った最終が、2月号に載る。

「うさと」のこと、「上村松園女史」のこと、そして「龍安寺」のこと。

何度か訪れた石庭だが、今回は短い枠の中に、言いたいことを詰め込んだ。

図式がないと、なかなか理解し難いが、兎に角、

この作庭家は、当時のあらゆる知識と技法の粋を集めて、

それを禅のセンスで纏め上げた。

それが、どのような展開でなったか、お楽しみである。

ところで、先日、小泉武夫先生を囲んで、北海道の仲間が忘年会を開いた。

その席上、先生のお家の宗旨が、臨済宗妙心寺派で、

亡きお父さんは県の総代をされていたという。

それで、お亡くなりになった時は、京都から偉いお坊さんが何人も読経にいらしたとか。

龍安寺は、その妙心寺派であったので、脱稿した日の共時性が面白いと感じた。

すると、そのお寺が原発で発言されている福島三春町の芥川賞作家住職・

玄侑宗久氏の禅寺で、小泉家がその檀家さんであったというから、さらに面白いと感じた。

http://www.genyu-sokyu.com/

その宗久氏の幼い時から、よく知っているよ、という話に不思議な感を抱いた。

氏の禅味深いエッセイやお話には、福島県被災地としての切実な声が、心に迫ってくる。

「発展繁栄の法則」

土曜日, 12月 22nd, 2012

       『致知』2010年4月号
                    特集総リードより

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志摩半島にあるそのホテルは、さる著名な経営者が
バブルの最中に計画、三百八十億円を投じて平成四年に完成した。

全室から海が見渡せる設計。
贅を尽くした内装。
足を運んだ人は、誰もが「素晴らしい」と歓声を上げる。

しかしバブル崩壊後、経営不振が続き、
十年前にホテルは人手に渡った。
新経営陣も経営を軌道に乗せるべく手を尽くしたが、
赤字は年々嵩む一方となった。

仙台で小さなエステを経営していた今野華都子さんに
白羽の矢が立ったのは、そんな時だった。

平成十九年、今野さんは現オーナーに請われて
ホテルの社長に就任した。

今野さんを迎えたのは社員百五十人の冷たい、
あるいは反抗的な視線だった。

それまで何人も社長がきては辞めている。
また同じ繰り返し、という雰囲気だった。

今野さんがまず始めたのは、社員一人ひとりの名を呼び、
挨拶することだった。
また、全員と面接し、要望や不満を聞いていった。

数か月が過ぎた。

今野さんは全社員を一堂に集め、言った。

「みんながここで働いているのは、
 私のためでも会社のためでもない。

 大事な人生の時間をこのホテルで生きる、と
 自分で決めたからだよね。

 また、このために会社が悪くなったと
 みんなが思っている不満や要望は、
 私や経営陣が解決することではなく、
 実は自分たちが解決しなければならない問題です」

 そして、今野さんは二つの課題を全員に考えさせた。

「自分は人間としてどう生きたいのか」

「自分がどう働けば素晴らしい会社になるのか」

 
ホテルが変わり始めたのはそれからである。
自分の担当以外はやらないという態度だった社員が、
状況に応じて他部門の仕事を積極的に手伝うようになっていった。

就任二年半、ホテルは経営利益が出るようになった。
全社員の意識の改革が瀕死のホテルをよみがえらせたのである。

今野さんが折に触れ社員に伝えた
「自分を育てる三つのプロセス」というのがある。

一、笑顔

二、ハイと肯定的な返事ができること

三、人の話を肯きながら聞くこと

仕事を受け入れるからこそ自分の能力が出てくるのだから、
仕事を頼まれたらハイと受け入れてやってみよう。
「できません」「やれません」と言ったら、
そこですべての可能性の扉が閉まる。

そして、教えてくれる人の話を肯きながら聞くのが、
自分を育てていく何よりの道なのである。
今野さんはそう言う。

この三つはそのまま、
人生を発展繁栄させるプロセスである。

すべての繁栄は人から始まる。
ひとりの人間が自らの人生を発展繁栄させていくことが、
そのまま組織の発展繁栄に繋がる。

しかも、その発展繁栄の法則は極めてシンプルである。
今野さんの事例はそのことを私たちに教えてくれる。

弘法大師空海の言葉がある。

「物の興廃は必ず人に由る
 人の昇沈は定めて道にあり」

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今野さんとは、旧知の仲で、來道される時は、

まほろばに立ち寄ってくださる。

このように有名になられる前からの付き合いだが、

出会いから、不思議な方でエステシャン世界コンクールでグランプリを獲得、

その前は、東北で酪農業を営み、ウシの世話をしていたというから面白い。

そんな泥まみれの生活からの知恵が人を動かすのだろう、と思うのだ。

いかにも、母性時代の魁のような輝ける女性である。