まほろばblog

Archive for 4月, 2012

「避難所から避難所への支援」

木曜日, 4月 12th, 2012

      
  千葉恵弘
 (石巻・奇跡の避難所「明友館」リーダー)

   『致知』2012年5月号
    特集「その位に素して行う」より

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【記者:他の避難所への支援はどのように始めていかれたのですか】

明友館を自主避難所として認めてもらう働きかけを
役所にしていく中で、同じ境遇の方が
数多くおられることを知りました。

たまたま明友館の受ける支援の規模が
我われだけではあり余るほどだったので、
すぐにでも困っている所を探し出し、
いま食べる物に困らないという状況をつくっていかなければと。

だから明友館に物資が届き始めて、
3日目ぐらいから支援活動に入りましたね。

すると案の定、なんの物資も届いていない施設や地域が
いっぱいあったから、まずはそういう情報をできるだけ多く集めました。

そして「明友館に片道の燃料だけ詰めてトラックで来てくれ」と
呼びかけました。
さらに自分たちの避難所だけではなく、周りの民家も見回ってほしいと。

結局我われだけで回れる範囲では限られてしまうので、
「周りにこういう困っている人がいるから、俺手伝いますよ」
と言ってくれる奴が、とにかく出てきてくれ、出てきてくれ、
と祈るような気持ちでした。

物資が届いた時に公平や平等と言ってると、
後手後手になってしまうんです。

被災者が欲しいと口にした物は、いますぐ欲しい物なんですよ。
僕は優先順位なんて勝手に決めてしまっていいと思うんです。
まずお年寄りと子供に分け与えれば、
後は自分たちで適当に裁量したらいいと。

【記者:そうやってほかの避難所までを導いていかれたのですね】

うちのやり方はこうだから、そのほうが皆の助けになるなと思ったら、
明友館方式でやっちゃえ。それでもし手伝えることがあったら
なんでも要望を言ってくれ、そうやって広げていこうぜと言って。

それがまたね、広がっていくんですよ、その後。

自分たちがしてもらったから後の人のことはいいや、って
いうのはまずなかったですね。

要はやり方だと思うんです。

整理券を配って長蛇の列を組ませ、
一人一個ずつ配っていくのもいいんでしょうが、
大事なのは「支援する」という気持ちを
広げていくことじゃないかと。

もらってばかりもいいけれど、でも誰かの助けになるような、
そういう動きや目線も持ってくださいよと
常に伝えながら活動していました。

だから明友館に関わった人にはその避難所や
施設の世話役になってもらいました。
そして本人ができないことは、我われがバックアップをしていく。

いままでの経験上、困っている人が
困っている人の情報を持っていて、繋がっているものなんです。

ずるい人や楽をしている人はそこ止まりなんですよ。
明友館では現在、宮城県内だけでなく、
岩手県の半島にまで支援の範囲を広げていますが、
いまでもそういう姿勢が基本にありますね。

篠原さんドイツ展示会へ

水曜日, 4月 11th, 2012

エッセンチアの篠原さんが、ドイツから招かれて

香水の展示会のため、明日出発。

http://www.essentia-allone.com/

今朝いらして、そこで紹介する日本の香りとして、

寺田本家の酒、北海道のワインでナイヤガラ葡萄の香りを抽出したサンプルを、

もって嗅がせてもらいましたが、何処にもない独特な芳香は、

ドイツの方々をとりこにするでしょう。

http://en.global-art-of-perfumery.com/

むこうでの大成功を祈ります。

掌/てのひら

水曜日, 4月 11th, 2012

先ほどのさださんの「転宅」を開いたら、「掌」という曲があった。
懐かしいーな、と思って、もう一枚貼り付けてしまった。
極めて私的な嗜好で恐縮ですが、・・・・・・・・。

人それぞれに人生があって、
それぞれに刻まれた掌のしわがある。
この歳になると、急に手の甲に張りがなくなって、
しわが増え、自分自身が驚いてしまう。

人生の悲しみや喜びは、この掌が一番知っているかもしれない。
若い頃、自分の持ち唄で、よくこの曲を歌っていたが、
何とも遣る瀬無い歌詞に、自分を映すことがある。

掌のしわは、深くても悲しむことは無い。
人のしわより深いほど、人を思い遣られるのだから・・・・・・。

転宅

水曜日, 4月 11th, 2012

上のさだまさしさんの「転宅」とは全く関係が無いのですが、
3月にまほろば本店のすぐ近くに引越しされたご家族がいらっしゃいます。
東京在住の方で、あの震災があったためでしょうか。
奥様のたっての願いで、北海道に、しかもまほろばの側に越されて来ました。
今朝、早速、島田編集長が、電磁波測定に行きましたが、
エリクサーを、以前から使っておられたそうです。

上の住宅情報は、厚別の穂積店長が流してくれたものですが、
本州のお客様から、店の側に転宅したいとの問い合わせが結構あるそうです。
HP上で近所のマンションなどをお知らせしているらしいのですが、
兎に角、内地に比べて、家賃が格安なので勧め易いということです。
厚別方面は、福島からの避難者や移転される方が多いと聞きます。
西野界隈も、空き地や空き部屋が多いので、
全国で、移り住みたい方は、どうぞご一報下さい。
詳しい情報を、ご提供出来るのではと思っています。

自然が一杯、四季がハッキリして、文化施設も完備し、食も豊か、
何もかも十全に揃っている街・札幌に是非起こし下さいね。
お待ちしております。

「ABCD+Eの発想」

水曜日, 4月 11th, 2012

      
 小林 陽太郎 (富士ゼロックス会長)

    『致知』1994年5月号
       特集「積極一貫」より

          ※肩書は『致知』掲載当時です

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当社では1976年にTQC
(※TQC=企業の中のあらゆる人が参加して
 進める品質管理、全社的品質管理)
を導入して、2年後の1978年には
当時としては画期的な商品を送り出すことができました。

  (略)

【記者:アメリカのゼロックスができなかったことを
    やったというので、その秘訣を聞かせろといってきますね】

ええ。親ができないことを孫がやったようなものですからね。
英語で話すわけですから、パンチが利くほうがいいだろうと思って、
最後にABCDの例え話をしたんです。

Aは「aspire」です。
最初に何か「したい」と思わなくてはならない。
クラーク先生ではないけれども、志が必要です。

次に「believe」。
自ら信じなければいけない、

志を持つのはいいけれども。
「そんなこといったってうちはできませんよ」
というのでは駄目です。

そして退路を絶って「commit」しろということです。
具体的に計画を作り、予算も人も配する。

そして最後は「do」。
やるしかないということです。

「日本語で説明すると難しくなるけれども、
 英語でいえばわかりやすいでしょう」

と私がいうと、ゼロックスのトップたちは一様に
「イエス」とうなずきました。

【記者:自ら信じるということは明るいということですね。
    その心構えで、積極的にやるんだということですね】
    

明るく、というのはまさにそうなんです。
おもしろく、楽しいということですね。

TQCのあと、ニュー・ワークウェイ運動というのを始めましたが、
その目指す方向の一つに快適なビジネス環境を
つくりたいということがあります。

環境は厳しいほうが優れたものができるという
考え方もありますが、実際はいかがでしょう。

快適な環境で、ゆとりもあって、
おもしろい仕事場のほうがクリエイティブな仕事が
できるのではないでしょうか。

実はゼロックスのトップに話をして何年かたってから、
管理職が自主的につくっている
ゼロックス・マネジメント・アソシエーション
という会があって、そこで話をしたことがあるんです。

既にアメリカ版のデミング賞に当たるゴルディー賞
というのをゼロックスが受賞していましたので
ABCDの話と昔はTQCの面で富士ゼロックスが
先生だったけれども、いまではゼロックスに学ぶ点が
たくさんあるんだという話をして帰ってきましたら、
早速何通か手紙が来ました。

「非常にいい話を聞かせてくれた.
 とくにABCDの話がおもしろかった」

という手紙だったんですが、偶然3人ほどが
「ABCDだけでは完全じゃない」と同じことを
書いてよこした人がいるんですね。
「ABCDだけでは会社というだけじゃないか」と……。

というのは「E」、つまり「enjoy」が足りないというわけです。

【記者:ニュー・ワークウェイというからには
    楽しみが欠けていては十分ではありませんね】

まったくその通りですね。
もともと私は明るく前向きに物事をとらえていかないと
展望は開けてこないんだという考え方でおります。

「なごみしお麹」新発売!!!

火曜日, 4月 10th, 2012

今朝突然、秋田横手市の「新日の丸醸造」さんの佐藤社長がお越しになった。

年に、度々道内の酒屋さんを熱心に回って歩いて、蔵元と消費者を密に繋いでおられる。

先日、同じ町の石孫本店さんを回って、丁度出来立ての「なごみしお麹」を手に取られたという。

今度、「まんさくの花」の酒麹で、塩麹を造ってみたいと語られた。

きっと、独特な旨い塩麹が出来上がるでしょう。

下は、佐藤社長が出される「まんさく通信」です。

その中で、今日の「塩麹ブーム」に一石を投じられておられる。

市販の多くは、麹に塩水を混ぜた即席物で、しかもかなり高価で売られている。

ほぼ一週間ほどで出荷するので、中味が米粒がそのまま残っている。

これは、全く熟成されていない証拠で、ブームに便乗する商法を嘆いておられた。

伝統的塩麹は半年から一年間寝かせる。

家で、保存するとその期間、熟成が進むので、三ヶ月以上でお願いした。

それでも、米粒は融けて、全体がねっとり練り状になっている。

一口食べてみる。

それは、驚きの瞬間でもあった。

手前味噌ならぬ「手前麹」で、大変恐縮ですが、

多種多様な塩のバリエーションが、えもいわれぬ複雑で奥深い味を醸している。

お手軽な値段も妥当だと思います。

本格的な出荷は7月過ぎてからです。

それまで、品切れご容赦のほどを。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/nagomisiokoji2.pdf

「空の上でお客様から学んだこと」

火曜日, 4月 10th, 2012

                                 
  三枝 理枝子 (ANAラーニング研修事業部講師)

       『致知』2012年5月号
        連載「第一線で活躍する女性」より

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入社2年目に転機が待ち受けていました。
八丈島から帰りのプロペラ機に搭乗していた時のことです。

機内が大きく揺れた際に、男性のお客様が手にしていた
ペンダントが座席の間に落ちて取れなくなってしまいました。

どうしても見つからないので、
到着地で整備士に座席を分解してもらって、
やっとペンダントが見つかったんです。

そうしたらそのお客様の目からぼろぼろと
涙が溢れ出てきたので、驚いてしまったことがありました。

実はその方の息子さんが1年前に就職祝いの旅で訪れた
八丈島で交通事故に遭って亡くなられていて、
そのペンダントは息子さんの大事な形見だったのです。

しかもそれだけではなくて、その息子さんは
自動車会社に就職が決まっていて、
ご両親は息子のつなぎ姿を楽しみにされていたそうです。

そして、ペンダントを探しに来たのは
若いつなぎ姿の整備士だった。

これはきっと息子が自分の姿を見せようと
したのだと思ったら気持ちが落ち着いて、
初めて息子の死を受け入れることができたと
涙ながらにおっしゃられたのです。

私はこの話をお聞きしていた時に、
大きな衝撃を受けました。
この方のために何もして差し上げることができなかったのだと。

もしそのペンダントを落とされなかったら、
その方はきっと悲しみに包まれたまま
降りていかれたことでしょう。

航空会社の仕事はお客様を目的地まで安全に、
かつ定刻どおりにお届けすることが一番の目的です。

でもそれだけではなく、何かで悩まれている方に、
たとえ、それが一見して分からなくても
そっと心を寄り添わせて、
少しでも気持ちが楽になっていただいたり、
元気になっていただくのも大事な仕事なんだな、
と気がついたんです。

大変難しいことではあります。
でも、何気ない会話からヒントが出てくることもありますから、
現役で飛んでいる時にはいつもお客様への
小まめなお声がけを心掛けていました。

「マザー・テレサへの質問」

月曜日, 4月 9th, 2012

      
  五十嵐 薫 (一般社団法人ピュア・ハート協会理事長)

     『致知』2012年5月号
     「マザー・テレサの生き方が教えてくれたこと」より
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かつてある新聞記者がマザー・テレサに
こんな質問をしたそうです。

「あなたがたったいま死にかけている人を
助けて何になるのですか? 

 この人は必ず死ぬのですから、
 そんなことをしても世の中は変わらないのではないのですか」

と。マザー・テレサは毅然としてこう答えられました。

「私たちは社会を変えようとしているのではありません。
 いま、目の前に餓えている人がいたら、
 その人の餓えを満たしてあげる。
 ただそれだけでいいのです。

 確かに、そのこと自体で世の中は変わらないでしょう。
 でも、目の前に渇いている人がいれば、
 その渇きを満たすために私たちはそのいのちに仕えていくのです」

彼女は別の場所ではこうも言っています。

「私たちのやっていることは僅かな一滴を
 大海に投じているようなものです。
 ただ、その一滴なくしてこの大海原はないのです」。

私たちのレインボー・ホーム
(五十嵐氏がインドに設立した孤児たちの家)もそうありたいのです。

人は「インドで僅か十人、二十人の親のない子供たちを
助けてどうなるのですか。

世界にはもっとたくさんの孤児がいるのに」と言うかもしれません。
しかし、目の前で「寂しい」と泣いている子供たちがいるのです。
それは私たちにとってかけがえのないいのちであり、
自分自身なのです。

そのいのちをそっと抱きしめてあげるだけでよいのです。

ボランティアとは、自発的に無償で他に奉仕することを
意味するのですが、その奥には

「人間は他のいのちに仕えるとき、
 自分のいのちが最も輝く」

という、生命の法則を実践で知ることに意味があると思います

まほろば野菜、初出荷!!!!!!!!

日曜日, 4月 8th, 2012

今朝、今年初めてのまほろば農園野菜が初出荷されました!!!
4月とはいえ、昨晩雪が降り頻り、冬に戻った感じです。
そんな中の出荷、嬉しさがこみ上げます。
今年の農園は極めて厳しい中でのスタート。
さぁ!どうなるものやら。
みなさん、ご協力のほどをお願いいたします。

サラダMIX
春菊
岡ノリ
チンゲン菜
からし菜
サラダ小松菜    小さく柔らかい生まれ立ての菜っ葉を、どうぞ・・・・・・・

「レモンマートル」のパークヒルさん

日曜日, 4月 8th, 2012

 

「タロッコ」という新種の柑橘柑が入荷した。二度目である。

先に愛媛の福岡自然農園の物が初出荷された。

丁度、福岡先生がお亡くなりになる半年前にお伺いした時に、

お孫さんの大樹君が急斜面と格闘しながら、このタロッコを移植していた。

その頃、温暖化のせいか、夏の暑さが厳しく、全国的にも柑橘類の被害が凄かった。

九州では、焼けが広がり、正品率が急激に下がり、農家を直撃したのだ。

その良い例が米で、一等米が激減して、タイ米などの長粒米に移行せねば、という話しが盛り上った。

そんなことで、イタリア特産のタロッコ、別名ブラッドオレンジが日本でも栽培されるようになった。

生ジュースで、このブラッドオレンジは店の定番になっているが、実に濃厚で旨い。

シチリア地方の灼熱の太陽の精が、ギッチリ詰まって、この抗酸化力は溢れるばかりだ。

10年もすれば、ネーブルのように日本化することは間違いない。

野菜は、元から日本の原種ではなく、ほとんどが外国産が国産化した。

大根も、じゃが芋、トマト、キャベツ、白菜・・・・・・・すべてと言ってよい。

長い年月をかけて、日本の風土に合った特性の日本らしい野菜に変化進化していった。

それは日本人、そのものでもあった。

日本は単一民族と言われていたが、逆にこれほど多民族国家はいないのではなかろうか、

というほど、何千年もかけて多くの異民族が流入しながら単一化していった。

レモンマートルを日本で販売している札幌在住のクレイグ・パークヒルさんは、

そんな意味でも、既に日本人らしい日本人で、

その謙虚さや心の床しさは、我々日本人が失った古き良きものが、

彼の中に息づいていて、感銘を受ける。

彼から何世か後になると、きっと全てが馴染んで、

洗練された日本人が生れるのであろう。

(通訳は、大井わこちゃんです。名訳でしょ。)