まほろばblog

Archive for 10月, 2011

生きるヒント

月曜日, 10月 17th, 2011

橋本 武 (灘校を東大合格者数トップにした伝説の国語教師)
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   遊ぶのは好きだけど、学ぶのは嫌い。
   だったら好きなことで嫌いなことを包んでしまえばいい。
   それが自分の力をつけていくのに、
   もの凄く大きな働きになっている。

   そういう力が自然のうちにつくように仕向けていくのが、
   プロの教師としての務めでしょう。

 
  
  
永田 勝太郎 (フランクル博士の直弟子)
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   フランクル先生は
   
  「たとえいかなる極限状況に置かれても、
   人間の心は自由だ。
   目をつむれば精神は花園に遊ぶことができる」

   と述べておられます。最後の瞬間まで諦めず
   希望にしがみつくことが大事だと思うんです。

菅野 敬一 (鞄ブランド・エアロコンセプト創始者)
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         私の欲しいものは、時に潔さとも表現できます。
   だったら出来上がるものもやはり少々不便でちょうどいい。
   相手に対する敬意や、お邪魔させていただく
   という気持ちがあれば、こっちは
   楽をすべきではないと思うんです。
   

昇地 三郎 (105歳 しいのみ学園理事長・園長)
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        人生は100歳からが本番、
   99歳までは助走である。

両 角 速 (無名だった佐久長聖高校男子駅伝部を強豪に育て上げた名将)
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         これは長距離走の特性とも関係しているわけですが、
   走っていて足が上がらない、息がゼエゼエ言う、
   もうこれ以上動けないという状態に追い込まれた時、
   求められるのはどれだけその状態に耐えられるかです。

   そこをさらに踏み込んだ選手が勝利を手にできる。

 「私の人生を拓いたもの」

日曜日, 10月 16th, 2011

       
       
    黒澤 眞次 (くろさわ・まさつぐ=イカリ消毒社長

            『致知』2004年4月号より

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 昭和三十八年八月、事務所に電話が入りました。
 
 
 「大変です、爆発事故です!」。
 
 
 私と兄は取る物も取りあえずに
 現場の池袋のデパートに向かいました。

 その日、デパートは定休日でした。
 全館の消毒を依頼され作業をしていましたが、
 昼休みに一服しようとマッチに火をつけた瞬間、
 可燃性の殺虫剤に火が燃え移ったといいます。
 
 隣では別の業者がシンナーを使って塗装しており、
 そこに火の手が及び爆発。
 デパートの七、八階が全焼し、
 死亡者が出るほどの大事故となってしまいました。
 翌日の新聞には「戦後最大の大火災」の文字が躍りました。

 その前年、創業者である父が急逝。
 社員十五名程度の小さな消毒会社でしたが、
 二十二歳になったばかりの兄と私、
 十代の弟が力を合わせて運営してきました。
 
 それがまさかこんな事態になってしまうとは……。
 死んでお詫びしようか、それとも刑務所で罪を償おうか。
 
 いずれにしても、とにかく謝罪に行かなければなりません。
 
 翌日、兄と二人でデパートのオーナーの元を訪ねました。
 
 すると、

「起きてしまったことは仕方がない。
 せっかくお父さんが残された会社なんだから、
 二度と事故を起こさないように気をつけて頑張りなさい。
 
 君たちはまだ若い。
 世のため人のためになる仕事をしてほしい」

 と、責めるどころか、私たちを励ましてくださったのです。
 兄も私も溢れる大粒の涙を止めることができませんでした。

 その後、消防署や警察で事情聴取を受けました。
 そこで聞かれるのは、決まって
 「危険物取扱主任者」の資格の有無。
 
 恥ずかしながら、その時までそんな資格があることなど、
 まったく知りませんでした。
 
 他にも業務に必要な資格があるのではないかと調べてみたところ、
 実に多くの知識・資格が必要だったのです。
 
 結局、あの事故は無知が引き起こしたものなのだ。
 消毒の仕事は一歩間違えば人の命をも奪ってしまう。
 二度と事故を起こさないためにも、
 一所懸命勉強しなければならない、と切実に思いました。

 その日から仕事の合間を縫って資格試験の勉強を開始。
 翌年には社員全員が「危険物取扱主任者」の免許を取得しました。
 
 高校卒業後すぐにこの仕事を始めたこともあり、
 大学に行っていない分、自分は資格で他の人に追いつこうと、
 その後も一年に一つ資格試験に挑戦し、合格していきました。

 数年後、ある朝、妻と一緒に近所を散歩していた時、
 朝五時から「朝の集い」の看板に出合い、
 「どなたでもご自由に参加できます」
 との内容に興味を惹かれ、
 早速、好奇心から夫婦揃って集いに参加。
 それが倫理法人会へ入るきっかけとなりました。

 その席で、「朝を制する者が人生を制す」という
 丸山先生の言葉を聞いた時、
 以前軽飛行機操縦のライセンス取得で
 ともに学んだ上智大学教授の故・酒井洋先生を思い出しました。
 
 電気工学の工学博士でありながら、ヴァイオリンを弾き、
 中国語の通訳免許を持ち、書道の大家。
 
 ご著書『ナポレオン睡眠法』では、
 人間は三時間寝れば十分と主張し、
 ご自身も三時間の睡眠の後、明け方から
 勉強されているとおっしゃっていたのです。

 以来、私も早朝三時半に起床し勉強を続けてきましたが、
 思いのほか集中できることを実感しています。
 
 特に経営者にとって時間は何より貴重ですが、
 日中は会社内での仕事に追われ、
 夜は得意先とのお付き合いもあり、
 結局、経営者が自分のための時間を持てるのは朝、
 それも「朝飯前」しかないのです。

 私は早朝勉強に切り替えてから一年に二つの資格取得に挑戦し、
 現在は七十八の資格を有するまでになりました。
 
 社内にも「環境スペシャリスト制度」を導入し、
 現在在籍する六百五十名の社員たちは、
 平均して五つ以上の資格を取得しています。

 社員がそれぞれの知識を持ち合って相談すると、
 あちこちで融合化反応を起こし、
 次々と新商品に結びついていきます。
 
 例えば、殺鼠剤に慣れたネズミは抵抗性を持ってしまい、
 ちょっとやそっとの毒では死ななくなってしまいます。
 
 さあ、どうしようかと話し合っていると、
 栄養士の資格を持っている社員は、
 
 「人間もおいしいものばかり食べていると
  体の調子が悪くなるから、
  逆にネズミが喜んで食べて臓器を悪くさせる
  栄養剤がいいのではないか」
  
 と提案。すると他の社員は
 「脳震盪を起こさせ、その間に電気ショックを与える」
 「一瞬のうちに凍死させる」など、
 どんどん新商品のアイデアが出て、
 現在わが社では五百三十一もの特許を持つに至りました。

 資格を取る、勉強するということは、
 経営道、人生道に繋がると思います。
 
 学びによって気づきを得て、
 はじめてお客様が感動する商品を作れ、
 サービスができるのです。

 私は資格により実に多くの人との出会いがあり、
 気づきがありました。
 
 私の人生は
 
 
 「資格によって師に出会い、
  資格によって道理を尋ね、
  資格によって人生を拓いてきた」
  
 
 と思っています。
 
 七十八の資格のどれ一つとして無駄なものはなく、
 
 すべてが私の人生を豊かにしてくれました。
 本来ならあの事故で潰れてもおかしくなかったわが社が、
 いまこうして六百五十名の社員とともに
 増収増益を続けているのも、
 先に述べたデパートのオーナーの励ましと、
 「学ぼう、勉強しよう」という社風の賜物と思っています。

 「我、いまだ木鶏たりえず」

土曜日, 10月 15th, 2011

       
       
        納谷 幸喜 (大鵬/第48代横綱)&

                           白鵬 翔 (第69代横綱)
        
            『致知』2011年11月号
            特集「人生は心一つの置きどころ」より
       http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick1

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【大鵬】 白鵬の連勝記録がストップした時、

     「我、いまだ木鶏たりえず」
     
     という言葉が新聞に掲載されていましたが、
     双葉山関はこの「木鶏」の話を
     陽明学者の安岡正篤さんからお聞きして、
     そういう無心の境地を目指されていました。
 
     実は、双葉山関が相撲協会の時津風理事長となられていた時代、
     直接ご本人から「木鶏」の話をお聞きしたことがあります。

【白鵬】 ご本人から。

【大鵬】 そう。「木鶏」というのは、『荘子』に出てくる話で、
     ある王が闘鶏づくりの名人に自分の闘鶏を託した。
     
     十日後、王は名人に「まだか」と問う。
     すると、「カラ威張りしてダメです」と答える。
     
     さらに十日後に尋ねると
     
     「相手を見ると興奮します」。
     
     再び十日後も
     
     「敵を見下すところがあります」。

      そして四十日後に
      
      
     「もういいでしょう。いかなる敵が来ても動じません。
      木彫りの鶏のようで徳力が充実しています」
       
       
     と答えた。そういう逸話だと教えていただきました。

【白鵬】 私は双葉山関の本を妻から読んで聞かせてもらいながら
     勉強していますが、七十連勝できなかった時、
      
      
     「ワレイマダモッケイタリエズ」
      
      
     と安岡さんに電報を打ったとありました。
     この「我、いまだ木鶏たりえず」という言葉が、
     すごく印象に残っています。

【大鵬】 木鶏のお話を理事長からお聞きした時、
     この方はこういう境地を目指しながら
     淡々と土俵を務めたのだと思って、
     あまりの気高さ、理想の高さに
     身震いがする思いがしました。

「脱原発!」女たちの会

金曜日, 10月 14th, 2011

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こちらから

金曜日, 10月 14th, 2011

新日の丸醸造さんが、雑誌に

木曜日, 10月 13th, 2011

先日、大阪へ出張の折、機中でJALの雑誌に、

大きく秋田横手の新日の丸醸造さんの蔵が紹介されていた。

全国的に見ても、貴重な文化財で、そこの酒蔵と繋がりあるのも有難い事である。

来月、その近所の石孫さんでまほろばオリジナル醤油の仕込みの

初仕事に立ち会う。不思議な秋田の縁である。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201005yokote1.htm

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201006yokote2-1.htm

(「醸造醗酵の街『横手』その一、その二から)

北海道のエネルギーを考える

木曜日, 10月 13th, 2011

「デッドストックをゼロにするには?」

木曜日, 10月 13th, 2011

        
       
            森田 直行 

       (京セラコミュニケーションシステム社長)
        
               1997年5月号
               特集「リーダーシップの本質」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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よく稲盛からは、

「お前のルールは論理的には正しい。
 しかし、このルールでは人のやる気は出ない。

 やる気のない人間がいくら集まっても、
 会社は立派にならないじゃないか。
 いい方向に行かないな。それじゃだめだ」

と言われました。

ルールは論理的には正しいが、
メンタルな面でまちがっている、というんですね。

例えば、新製品が出ると、古い製品は売れなくなって
デッドストックになってしまいます。

そのデッドストックの処理について、
事業部からある提案が上がってきたんです。

デッドストックが出たときに、そのつど処理していたのでは、
採算計画が狂ってしまいます、

そこで月々どのくらいのデッドストックが出るかを計算して、
デッドストック処理のための経費を毎月積み立てておきたい、と。

で、デッドストックをその積み立て金で
相殺するという提案です。

私はなるほどそうだなと思いました。

そういう積み立て制度があったほうが、
確かに効率はいい。
で、案をつくって稲盛のところに持って行ったのです。

(記者:稲盛会長はなんと?)

ガツンとやられました(笑)。

「お前の案は論理的には正しい。

 しかし、これはメンタルではだめだ。
 そういうルールを認めてしまうと、
 デッドストックは出るものだとみんな思ってしまう。

 
 そういう気持ちでみんなが働けば、
 デッドストックはいまよりもっと増えるぞ。
 
 デッドストックはゼロにしなければいけないんだ。
 そういう心をいつも持たせるような
 ルールをつくらなければだめだ
 
 
なるほど、納得です。
グーの音も出るものではありません(笑)。

しかし、稲盛はなぜだめかを丁寧に教えてくれるんです。
その教えはいまの私にとって大きな財産になっています。

(記者:稲盛会長は、

 「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」
 という言葉をよく使われますね)

このルールは小善なんですね。

私としてはみんなのためによかれと思って提案したのですが、
広い視野でみれば、このルールでは士気は下がるばかりです。
経営者とわれわれとの視野の違いを思い知らされました。

本当の士気というものは、つらいかもしれないが、
事実を真正面から受け止め、
それを乗り越えていこうとするときに生まれるんです。

大善を貫くには、ときには厳しいルールを
つくることも必要なのです。

Dr,マック 牧内泰道さんから

木曜日, 10月 13th, 2011
 巴馬の長寿郷視察でご一緒した
 熱海断食道場の牧内泰道さんから、
 今朝、メールが届いた。
  その中に、氏のメッセージが、
 数多く掲載されて中々示唆に富んだ 
 教えられる事が満載。
 HPもあり、覗いてみてください。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Q; 顔の相=人相をよくすることができますか?

Q; 美顔にする、若返りを教えて下さい

Q; 顔に艶がない、老けた、どうしたら良いですか?
 タンパク質不足では?

A; 顔にはその人の内臓の状態が表れている。
・目尻の小じわは腸の老化

・目の下がちょいと黒ずんできたら、腎臓の虚

・目が悪くなったのは、肝臓が悪くなった証拠

・鼻は心臓、酒飲み心臓に負担を掛けているから鼻が赤い、

・卵を多食するとホッペタが膨らんできて、ニキビになる

・小鼻の大きい人は肺活量が多い、勢力家で丈夫だ

・眉が薄いのは肺が弱く、短命である

・耳の張りが無い、小さい人は糸球体に詰まりがある、短命である

・上唇は胃を表す、唇が腫れ爛れると胃に炎症を起こしている

・下唇が浮腫んで出っ張って人は食べ過ぎ飲み過ぎ

・顎が張っている人は魚の多食、気が強い人、後家相と呼ぶ

・右側の髪の生え際が剥げてきた、肝臓病
・左側の  〃         胃腸病

・ハゲも、前頭部、後頭部、頭頂部のハゲで異なる
 みな内臓の反応によりハゲの部位が違ってくる。

動物性蛋白が多い人は頭頂部がハゲてきます。
動物性タンパク質を多くとると早く顔が老けますよ
ご飯にも沢山のタンパク質が含まれている
人間はそれ程タンパク質は必要ないのです。

美しくなりたいのは万人の願い
顔をお化粧しても若返らない、化けるだけで、却って皮膚を駄目にする
今の化粧品の材料はみな化学薬品で害があるのです。

化粧品は自分で簡単に作れますよ
やはり全く自然のものを用いるべきです。
教えてあげますよ

顔をキレイにする、若返らせるには、内臓を休息させ
丈夫にする以外にはありません。
栄養、栄養と栄養過多が老化の原因です。

人相は自分で造っている、よい人相の人と付き合うべきだ。
いつも微笑み、明るい言葉を吐く人と
いつもしかめっ面で、貧乏臭い顔している人とでは雲泥の差である。

顔はその人の生活程度、知能程度を表している、と同時に
その人の内臓の良し悪しがでている。

「“平成”の年号にはどんな意味がある?」

木曜日, 10月 13th, 2011

  対談     伊與田 覺

         ×   荒井 桂

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【伊與田】僕は震災後、平成という年号のことが頭に浮かびました。
         この年号は
       
         「内平らかにして外成る」

    「地平らかにして天成る」
       
         という意味を込め、安岡正篤先生が考案されたものですね。
       
         ちょうど佐藤栄作総理の頃です。
         昭和から平成に変わった時、先生はすでに他界されていて、
         政府の首脳部の中には生存中の人の意見で
         年号を決めようという声もあったようですけれども、
         最終的には安岡先生の案で落ち着いたらしい。

【荒井】 当時の竹下登首相が、あれは安岡先生の案だと
     ポロッと漏らしたと聞いています。

【伊與田】そう、いつの間にか話が広がってしまいました(笑)。
     ところが、平成の世を迎えても、日本の国情はそうではない。
     
     次々に新しい内閣ができて党内が結束しているかというと、
     とても内平らかどころではない。
     このまま行けば何かが起こる、
     起こらずにはおらんだろうと感じていた時に、
     今回の大震災です。

【荒井】 やはり先生もそうお感じになっていましたか。

【伊與田】安岡先生は早くから、
     これから天変、地異、人妖、
     つまり妖しげな人間が横行するような時代になると
     危惧されておりましたが、
     その三つが出るべくして出てきたという思いがしておりますね。
     
     まことに東北の人々にはお気の毒ですけれども、
     国全体からすると、やはり起こるべくして起こったのではないかと。
     
     50年以上前の話ですが、昭和34年、
     伊勢湾台風が発生して大きな被害がありました。
     
     中でも伊勢神宮は随分とやられました。
     
     古い大木が次々になぎ倒されて、
     宇治橋から正殿まで歩いて一時間もかかるくらい
     惨憺たるものでしたね。
     
     ただ、幸いに内宮も外宮も、木が外側に倒れたために
     損傷はございませんでした。

     安岡先生は常に私情を去って、
     天下国家を我がことの如くお思いになる方でしたから、
     この時に何か強く感じられたと思うんですね。
     
     
     『中庸』には
          
     「至誠の道は以て前知す可し。
      国家将に興らんとすれば必ず禎祥(めでたい兆し)有り。
      国家将に亡びんとすれば必ず妖げつ(妖しい兆し)有り」
      
     とあるが、伊勢湾台風は単なる自然現象ではなしに、
     天が日本人に警鐘を発しているのではないかと。
     それでその翌年に世直し祈願萬燈行大会を
     開くことを発意されるわけです。
 
     伊勢の聖地に二百数十名を集めましてね。
     
    「このままでは日本は将来、必ず禍根を残す」というので、
     一燈行を萬燈行へ広げようと呼びかけられました。
     先生は昭和58年に亡くなる年まで、
     世直し祈願にお顔を出されるんです。

【荒井】 「一燈照隅、萬燈照国」 

     という安岡先生の
     提唱の言葉がございますが、
     自らの周囲を明るく照らす人が増え、
     その数が万人になれば国中が明るくなる。

     それが誰もができる真の世直し行である
     という思いを込められたのですね。

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●安岡正篤師プロフィール
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 1898年~1983年。
 昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、
 中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、
 さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、
 昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。

 その東洋学に裏打ちされた該博な知識と
 人物としての魅力によって、日本のトップ・リーダーたちに、
 わが国の進むべき道を常に指し示してきた人物である。