まほろばblog

Archive for the ‘文化’ Category

銀座で佐治先生と・・・・・・

火曜日, 11月 4th, 2014

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4月に、東京の学士会館で韓国の数学者で歴史学者の

金容雲先生の講座があり、帰国中の後藤吉助翁や

森田さんたちと参加した翌日、

編集者の山司さんとの打ち合わせを銀座で行って後、

ブラブラして歩いていた所、

物理学者で音楽家の佐治晴夫先生とバッタリ出会ってビックリ。

大丸で食事しながら、お話を聞き、森田さんを紹介。

そのご縁で、森田さんが、佐治先生とりんごの木村さんと対談の場を設定。

それが、次の新聞のきっかけを作りました。

お読みください。

sajisennseito

「古梅園」さん訪問

木曜日, 10月 30th, 2014

古梅園 墨垂れ

千島学会の翌日、27日(月)、

450年にもわたる日本最古の墨製造、奈良の「古梅園」さんを訪問。

まほろば発案の墨製造のご相談で、

その詳しき内容は、後日に譲りますが、

今までの歴史上にない墨になりそうです。

古梅園 型入れ

 

それにしても、一千坪の敷地に、

未だに450年前、創建当時の工房がそのままあり、

そしてそのままの工程と

そのままの工人が、

そのままの時間の移り行く中で、

墨が造られているさまは、感動でした!!

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(若い十六代目・松井晶子社長さん)

まるで、酒蔵のように、墨も発酵して

時の熟成を待っているかのようでした。

本当に、

感銘致しました。

野菜「茶懐石」料理『名残の十三夜』

月曜日, 9月 29th, 2014
27日の土曜日の夜、アンドーナツさんこと、安藤夏代さんの主宰する
NATS PLANNING」による『おもてなしLesson』に参加させて戴きました。
以前から、お呼ばれ戴いていましたが、なかなか機会がなく、
今回、一日前の不思議なご縁で、繋がりました。
講師は、篠原ミツコ先生で、利休の孫・宗旦のお弟子にあたる
山田宗偏に始まる「宗偏流」を伝承されています。
茶事のみならず、お料理を伴う茶懐石まで、
全て設(しつら)えられる北海道では稀有な方。
ユネスコ文化遺産の【和食】が、益々喧伝されるこれから、
日本人として、己の拠って立つ文化、
とりわけ食に対する認識を新たにする必要に迫られています。
凛とした日本の歴史が、このような一椀一膳に籠められている。
改めて、身と心を先人の遺産に向き合わせねばならない時なのでしょう。
安藤さんの菜食主義に準じ、野菜のみの懐石もまた一興でした。
とても、貴重で尊い一時を過ごさせて戴きました。
ありがとうございました。
以下、安藤さんの文章と写真です。

9月のおもてなしLesson&食べる勉強 ♪

「野菜茶懐石料理

精進茶懐石 八寸
(「焼き物 八寸」この稲穂は、本店玄関前で栽培した稲だそうです)

今回のテーマは、『十三夜』でした♪

38年ぶりの早い時期での十五夜、

それに伴い十三夜もです♪

精進茶懐石 椀盛り(「椀盛」じゃが芋の薯蕷まんじゅう 隠元 山葵)

そして、それに伴い(笑)初の試みで、食べる勉強♪

野菜茶懐石料理というのを18時半から開催しました。

ということで、今回は、

篠原ミツコ先生と前日の夜〜未明に掛けて・・・の準備でした。

… 食べる勉強 ♪

野菜茶懐石料理でした。

精進茶懐石 磯さんと
           (磯深雪さんも料理講習に参加されました)

2日前の閃きのご案内にも関わらず、

6名の満席となったのでとっても嬉しかったです 。

精進茶懐石 会食

来月のおもてなしLessonは、

【茶の湯の口切り】でお正月のダイニングテーブルでの茶事を学びます♪

全て、参加される皆様で作っていだだくものです♪

10:00〜17:00です。

 タイミングのあう方はぜひ。

   精進茶懐石 篠原先生

賢治さんのハガキ

金曜日, 9月 26th, 2014

賢治のはがき

 

「字は人なり」、

と言いますが、最近、宮沢賢治の葉書が発見された。

家業を継ぐため、学業を断念せざるを得ず、

友が南洋で活躍できるを羨望する様子が書かれている。

字は以前の印象より、躍動しており、

強い意志が感じられたのは、意外であった。

天文学、地学、鉱物、農業、文学、音楽・・・・・・

何かと共通するものが多く、心動かされる。

小学校4年の時だったか、「虔十公園林」が、国語の教科書に載ってあり、

女先生が、これは何を言いたいのか?と問われたとき、

私が「愛です」と答えて顔を赤らめたことを昨日のことのように思い出す。

果たして、分かっていたのだろうか・・・・・。

賢治のハガキ2

 

 

新垣さん再出発

水曜日, 8月 27th, 2014

先日、知人の多田義和さん肝煎りの「新垣隆コンサート」がキタラホールで開かれた。

誘われて、演奏を聞かせてもらったが、何よりも、

彼を取り巻く空気の温かさに驚いた。

罪をとがめず、その行く手を見守る日本人の優しさに感動したのだ。

 

多田さんと新垣さん

 

その多田さんは、あの江差追分の第一人者、青坂満さんを世に出した功労者の一人で、

「これ!」と思ったらすぐ動く直感の人、感性の人だ。

彼の熱心な働きで、青坂さんは、北海道文化功労賞や数多くの賞を総なめにした。

東京農大・漕艇部の顧問として活躍される一方、

あの盲目の天才ピアニスト辻井伸行君の支援をする等、

本物のパトロンという生き方をされている方だ。

今回も、多田さんの義侠心が動いて、新垣さんを何とかしようとされた。

それが、道内の多くの音楽関係者の心を動かし、

彼の再出発を祝う心温まるスタートラインを引いた。

大いなる才能が、よき方に開花されることを切に祈りたい。

 

 

喫茶去(きっさこ)

月曜日, 8月 18th, 2014

喫茶去(きっさこ) <五灯会元>

禅語の中で最もほっとさせられることばがこの「喫茶去」である。
去の字は喫茶の強調の助辞であり、去るという意味はない。

「お茶を一服如何ですか」とか「どうぞお茶でも召し上がれ」と云う程度の意味に過ぎないが、

「どうぞ、お茶でも召し上がれ」という喫茶去の心を日常に生かせるだろうか。

中国唐時代の有名な禅僧の趙州和尚は話である。
その趙州和尚のもとに修行僧が教えを頂きたいとやって来た。

喫茶去

     (室町期、青唐津の蹲に、槿ムクゲの庭花がさりげなく収まる)

趙州「曽(か)って此間(すかん)に到るや」(お前さんはかって、ここに来たことがおありかな?) 

僧 「曾(か)って到る」(はい、以前にも参りました) 

趙州「喫茶去」(さようか、ならばお茶でも一服おあがりなさい)

またあるとき別の修行僧がやって来た。

趙州「曾(かって)到るや」僧 「曾(かって)到らず」(いいえ、ここに来たことはありません)

趙州「喫茶去」(左様か、ならばお茶でも一服おあがりなさい)

 

これを聞いていたこの寺の院主は「和尚は曾ってここに来た者にも、

はじめての者にお茶をどうぞと同じことをいわれるがどういうわけなんですか?」
とたずねた。趙州は是れに答えず「院主さん!」と呼ぶ。

院主は思わず「はい」と答えたその瞬間、

趙州はまた「喫茶去」(まあ、お茶でも一服召し上がれ)

 

このとき院主は、はっと悟ったという。

このなぜ悟ったかの追体験がこの禅問答の意図である。

それぞれ立場の違う三人に対し、ただ「喫茶去」と云って接したのは

趙州の相対する分別、取捨、過去・現在、

あちら・こちらと分かつ一切の意識を断ち切った、

絶対の境地のあらわれに他ならない。

そこには、凡聖、貴賎、男女、自他等の分別は無く

一切の思量の分別の無い無心の境地からの「喫茶去」なのだ。

この無心の働きからでるところに、

茶道家はこの「喫茶去」の語を茶掛けとして尊んで自ら無心に茶を点て、

貧富貴賎の客を択ばず無心に施す心を養ってきたことだろう。

私たちはおうおうにして、好きな人や、金持ちや身分の高い人が来れば鄭重にもてなし、

嫌いな人や貧しい人にはいい加減な対応をしてしまいがちである。

分別を入れず、誰に対しても計らい無く、真心から接して行きたいものである。

Beautiful Chinese Music

火曜日, 6月 24th, 2014
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日中韓の喧騒絶え間ない今こそ、向こうの文化を直に味わう事も大切かと・・・・・。

普段、なかなか中国の音楽やその古典など聴く機会はありませんが、

美しい風景や人物を眺めながら、じっくりと味わってください。

このシリーズは長いので、充分楽しめる事と思います。

ふだんづかいの器

木曜日, 6月 19th, 2014

isizara

近所の骨董「千家」さんで求めた大皿。

江戸後期の石皿、意外と安くしてもらって、今八つ頭を育てている。

中々の風情で、日々成長に伴い景色が変容する。

この皿、何と新潮社から出ている骨董の目利きが選ぶ「ふだんづかいの器」に掲載されていた石皿だった。

石皿 本

 

名品でも、高価な品でもなく、昔ならそこいらに転がっていた大皿だ。

無名の陶工が、それこそ毎日同じ物をせっせと作った末に残った時代物に過ぎない。

だが、そこにはてらいのない素朴で簡潔で、およそ芸術などの思惑もなく、

日常雑器として用の美があっただけだ。

そういうものこそ、歴史の雨風を凌いで残るのかもしれない。

そんな心和む安物の一品が、濱田さんや魯山人と一緒の本に同居していたことが、面白く思う。

魯山人

濱田庄司

 

成熟なんて退屈よ!『百歳の力』

木曜日, 6月 19th, 2014

篠田桃紅 1

篠田桃紅さんといえば、私の若い頃、

凛とした風貌と容姿、颯爽とした出で立ちで、世界を股にかけた前衛書家・・・・・・。

何とも絵から抜け出たような方だなー、と思っていたが、

いつの間にか、互いに年を取り、

何と桃紅さん、100歳におなりになっていた。

しかし、年をめしても、当時と変わりなく孤高の道を歩んでおられる。

「人が敷いてくれた道を、

ゆっくり歩んて行けばいいというような一生は、

私の性格には合わないんだからしようがない。

私の前に道がないのは、

自分の性格のゆえの報い。

そう思って、受け入れて来ました。・・・・・」

と、一生独身を通し、己の欲するところを正直に生きる。

私が若い頃、前衛的な線描の軽い感じが、どうもと思っていたが、

今、拝見すると、研ぎ澄まされた表現の中に

年月の淘汰のみ存在する重さを感じた。

そこに、前衛が古典に変遷する時を、垣間見た思いだった。

語りの中に、捉われない自由な精神が、

自伝にありがちな自己喧伝になっていないことに、

真の前衛の精神を見た思いだ。

一読をお勧めする。shinoda_nozomi[1]

希望のベトナム、希望の牧牛

月曜日, 6月 16th, 2014

ベトナム