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まほろばだより−トピックス−
   

 3月から間もなく六ヶ月になろうとしています。
この数ヶ月の間、皆さま如何ばかりでしたでしょう。
おひとりおひとりのそれぞれの日々、重ねられし月日、そして胸の内を憶います。

 自らを顧みるとき、あの日以来、見聞きを重ねる余りにも沢山の重苦しい出来事と思考のゆらぎの中、心にずっと静かに在り続けていたお話がありました。

 それは あの夜 
― 震災があった3月11日の夜、空は今までに見たことのない満天の星空だった ―
とのお話でした。
 
 その星空のお話を幾たびか耳にする毎に、昔オホーツク海に面した浜小清水の濤沸湖の畔にて、その夜居合わせたユースホステルの皆と見上げた、それは美しかった厳寒の星空のことが想われ、一同が言い表わせない思いに満たされていたあの夜の心風景に心を重ねました。
そして震災の夜の星空を想う時、昔読んだ宮沢賢治の幾つかの物語の一節が静かな鈴の音のように響く思いがしていました。

 7月7日。麻への可能性と文化再興への思いを籠め、北海道を一周する一ヶ月の巡礼の旅が七夕の函館五稜郭から始まりました由。
そのお話をお聞きしながら、その地と巡礼に纏わるもう一つのお話を胸にしていました。


 

   2005年8月10日 
   北海道新聞「卓上四季」より

 被爆のマリア像

  ▼右側のほおと髪は黒く焦げている。
水晶の眼球を失った瞳。なんと悲しげな表情だろう。
昔、写真で見た「被爆マリア像」である。
きのう、長崎市の浦上天主堂でそのマリア(聖母)像が六十年ぶりに祭壇に安置された。

▼爆心地から五百五十メートル。
丘の天主堂はすさまじい爆風と熱線を浴びて倒壊。
周りではカトリック教徒一万二千人のうち八千五百人以上が亡くなった。
原爆は目標地点から北に三キロそれ、浦上地区に落ちたのである。

▼首から下がない聖母像をがれきの中から見つけたのは戦後、復員した神父だった。
大聖堂の屋根は落ち、鐘楼ドームは崩れ、天使像もステンドグラスも粉々。
高さ三十センチ弱の頭部だけとはいえ、残っていたのは奇跡といわれた。

▼神父はその像をトラピスト修道院(渡島管内上磯町)に持ち帰った。
七五年に返還するまでの三十年間、自室の机の上に置き、浦上の人々の悲しみをたたえた聖母像に祈り続けたそうだ。

▼「怒りの広島、祈りの長崎」という言葉を思い出す。キリスト教との歴史的なかかわりから「祈り」と長崎が結びついたのはごく自然なことである。
被爆マリア像はその象徴でもある。

▼だが、核に対する怒りは広島も長崎も変わらない。
きのう平和祈念式典で被爆者代表の坂本フミヱさん(74)は語った。
「命ある限り『長崎を最後の被爆地に』と叫び続ける」と。静かなる怒りがそこにあった。

   

 スペインの画家ムリーリョが17世紀に描いた代表的な傑作『無原罪の聖母の御宿り』を模して作られたと言われる被爆のマリア像は、2000年にはチェルノブイリの原発事故により放射能被害を受けた人々を励ますためにベラルーシへ。

 昨年2010年には、ローマのバチカン、スペイン・ゲルニカの空爆追悼式典、フランシスコ・ザビエルの家、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ国連本部のあるニューヨークへと平和の巡礼がなされたといいます。




 渡島当別の小高い丘の上、津軽海峡へと真っ直ぐに続くようなポプラ並木の向こうに復員された神父、故・野口嘉右ェ門神父が居られた赤いレンガの『燈台の聖母 トラピスト修道院』はあります。

三木露風の童謡『赤とんぼ』は、この地にて作詞されました。
初めて訪れた時より深く心に留まるその佇まいを胸に、広島長崎からの今年の祈りに思いが至ります。

 7月16日。札幌の北海道神宮参集殿にて麻のお話がされました日の夜、京都では祇園祭の宵山を迎えていました。

 平安期の貞観11年(869年)、京で疫病が大流行した折に疫病退散を祈願して行われた祇園御霊会が起こりと伝えられる祇園祭。
その年の5月、貞観の地震により東北の地は地震と津波に襲われていました。

 貞観地震と御霊会の縁起も語られる中、京の人々は今年の祭りに「国の厄を払い日本を清める特別な思いで臨んでおられる」とお聞きしました。平安京よりの安寧の祈りでありましょう。

 札幌農学校二期生の内村鑑三(1861-1930)は、1927年に札幌で行われた『ボーイズ・ビー・アンビシャス Boys Be Ambitious 』と題する講演の中でこのように語っています。
   「― ウィリアム・エス・クラーク先生が五十年前此校を去るに臨んで、島松の原頭に馬上一鞭あてて、あとに従う学生一同に向って叫ばれた「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という簡単な言葉を如何なる意義によって残されたを考えて見たい。
 
 ―クラーク先生が此の言を発せられるに至った経路を考えるに先生の生国即ちニューイングランドにはこの精神が充ち満ちてゐて、その精神的環境の中からブライアント、ソロー、エマソンの如き偉人を生み、又先生を生んだのである。
此の簡単な言葉の背後に全ニューイングランド在るを考える時に、是れ実に意味深い言葉となるのである。

  " 札幌の今日あるを得たはクラーク先生を通してニューイングランドの気風が大いに貢献した処あるを思うときに札幌は一層貴いものなる "。

 ―アンビシャス又はアンビション、日本語に訳せばまあ「野心」であろう。
「野心」と謂うて、軍略的又は政治的な野心を考えさせられるから、「大望」と云うた方が良いと思うが、解り易く申せば、
" 将来自分が成し遂げてやろうとする仕事をしっかり決める精神 "を云うのである。

 それに就いて今思い出すのは、エマソンの言葉に、" Hitch your wagon to the Star "(汝の車を星につなげ)と謂うのがあるが、これは「望を高く抱け」と謂う心をクラーク先生が「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と平易に云うた事を詩的に云い表わしたのであって全く同精神に出てゐる。

―諸君よ、諸君もまた、今の時代に諸君の車を星につなぐべきである。私は先生に代わってもう一度諸君に向って叫ぶ 

『 ボーイズ・ビー・アンビシャス! 』」


 

 
 自分が為した最も会心の演説であった― 
と記された晩年のこの講演に、

「明治の初年において、私どもが北海道について抱いた理想は、はなはだ高いものでありました。それは此処札幌を、日本第一の収穫地、ならびに精神の修養地と為さんことでありました。」

 との前年の言葉を重ねるとき、時を越えた Boys Be Ambitious の言葉の重みが今深く心に響きます。



 且つてこの地に抱かれた高き理想。

 夜空に赤く光る北極星が象られていた北辰旗は、先人の精神と雄々しく伸びる未来を表す七光星の道章へと姿を変えました。


 

   今に至り、旧島松駅逓所に双び建つ「寒地稲作の祖」中山久蔵と「Boys Be Ambitious」の碑を前に、

「青年よ大志を抱け。金銭や私利私欲や、人が名声と呼ぶ 儚いものに対してではなく、知識や正義や人々の向上のために、人としてのあるべき姿に到達できるように、青年よ大志を抱け」

(1915年サンフランシスコ万博に配布された『北大略史』(英文)による 北大の解釈)


 との先達たちの真意を静かにかみしめるべき「時」の訪れを念います。

 
 

 

 満天の星空より五芒星、六芒星、七芒星への星巡り。

 思考のゆらぎから思惟の静寂へ。

奈良生駒の斑鳩に静かに佇む中宮寺半跏思惟像を内にして、日本の霊性の静かな兆しを懐うこの夏です。

   
 


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