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まほろばだより−折々の書−
 

 

 

 

 

 

 

 


 最近、相次いでカメラの老舗メーカーが、フィルムカメラからの撤退を発表した。デジタルの趨勢で経済効率が著しく悪化したためだ。写真に関しては、私は全くの素人で、その真意が掴めなかった。カラー全盛の今の時代、むしろ白黒のモノトーンに精神性というか、郷愁というか、ある種のノスタルジーを感じてはいた。

 写真家・藤原新也氏によると、今、デジタルカメラよりもむしろフィルムの方が、基本性能のダイナミックレンジ(白から黒に至るまでの階調表現)が狭くなり、低下しているという。


「バリの雫」藤原新也 出版社 新潮社
 

 

 


それは、濃淡の強い画像が好まれているのが背景にあるらしい。階調表現が豊かであることは、見た目に地味に見え、階調の幅が低いとコントラストが高くなり、見た目派手になるというのだ。「色の派手さ加減」の彩度においては、自然の地味を通り越して飽和点に達しているという。
 

 

 



 都市化が、人工物によって環境を変化させ、自然の色とは似ても似つかない人工色を「きれい」と感じるようになり、脳内で記憶色として刷り込まれてしまった。それは、テレビ、ゲーム、パソコンなどエスカレートして、彩度とコントラスト比が刺激的に著しく高くなってしまった処に大きな原因があるという。ユーザー自体がデジタル化して来たらしいのだ。

 

 

 


 ちなみに、はじめ自然色の地味な写真を人に見せる。次に彩度を高めた写真を十秒見せる。そして、はじめの写真を再び見せると、自然色を精彩の欠いた物足りないものと誰もが錯覚するという。それは感性の破壊でもあり、再び戻りがたいと藤原氏は語る。そこが恐ろしい。
 実はこの生物学的な脳気質の崩壊は、十年を待たないだろうと氏は危惧する。アナログからデジタルへの変化は、この見えない深い潜在能力の変化を知らない間に生んでしまっている、ということに渡し難い問題が隠されていた。
 

 

 

社会全体に及ぶデジタル化の裏では、どんどん生理の崩壊が行なわれているということであれば、文明とは自然との乖離でしかないかもしれない。

 かつて古都奈良をくまなく映された写真家・故入江泰吉氏の深々とした大和路や仏像の一枚は青年の心に郷愁を掻き立たせた。フィルムも技術も今日の水準には到底及ばないのだろうが、しかし決定的に何かが違っていた。今、大切な何ものかが欠落したのではなかろうか。

 


「大和路雪月花」―入江泰吉 写真人生を語る 出版社 集英社
 

 

 


 私が二十歳の頃、坂本繁二郎という画家がいた。禅僧のような静かな佇まい、寡黙な語らい。そこから表出される筆づかいは幽玄な色調と温かい慈愛の眼差しだった。ことに馬の親子に漂う情愛は、画は癒しというにふさわしいものだった。しかし、その慎ましい画風が現代では省みられないのは、デジタルな眼には色褪せて見えるためだろうか、それとも審美眼が物質と共に喪失されたためかもしれない。


坂本繁二郎展ポスター2006 ブリジストン美術館
 

 

 

 

 

 

 


 アナログ、デジタルといえば、私たちの年代では、音楽再生を連想する。レコードがアナログで、CDがデジタル。若い頃から、比較的いろんなジャンルのものを聞いてきたが、最近何か、とてもつまらなくなっている自分がいる。
  一言で面白くない、これも歳のせいかな、と片づけていた。しかし、上記の写真の話を聴いて、これは技術の発展に逆行して、実は音自体とんでもない方向に走っているのではないか、という想いにかられた。

 

 

 

どんなに精緻な再生装置で最新の録音盤を店に流しても、鑑賞としては耐えられないのではないかと思っている。自宅で四・五十年前のクォードという中古のスピーカーや真空管のアナログ装置で聞くレコードとは、何故にこんなにも違うのかと思うのだ。
 

 

 


簡単に言うとCDは疲れるし、レコードはホットする。録音・再生装置はアナログに比較して雲泥の差ほどの発展を遂げている。しかし、決定的に欠如している点がある。
 

 

 


CDは耳に聞こえない不可聴音としての高周波と低周波をカットしている事。そして、古い録音は一本のマイクで原版に音を刻み、今は多重録音でミキシングルームの中で再び人の手でバランスを調整して音楽を作り直している違いだ。

 再生音が、迫力があり臨場感があり生っぽく聴こえても、そこに感動がなくなるのは異相が生まれて生理的にずれる事、人の手で周波数をカットし、音を作り直すことで、本当の生から遠ざかる点だ。 

 

 

 

人の耳は一本のマイクのように全体を集合音として一点で聞く。しかし、多重になるとそれぞれ際立った音を、音楽の真を知らない人がミキシングする。それはエリートだらけで、反って機能しないというべきか。何処かの球団に似ている。 昔イギリスEMIにグリフスというSPからLPに変換する名技術者がいた。クラッシクに限れば、今のエンジニアと違う点はヨーロッパ音楽を生で聴きあさり尽くしている事だ。彼は生の音楽の現場に居た。

 

 

 



  自然音は高周波・低周波の塊で、実は不可聴音は体全体で感じ取って感応している。この全体があって癒される。いわば、今の音は耳だけの回路で成り立っているとも言える。 バリのガムラン音楽の素晴らしさは、島の自然音を楽器に再現したとも言えるほど高周波音で満たされているからだ。最近、モーツアルトが異常にもてはやされているのは、この高周波や倍音が多いためらしい。

それと、古色蒼然としたSP録音などが、未だに愛好されるのは音の全体観があったためと思う。

 

 

 

それとやはり、演奏家も録音家も音楽への愛情の深さ、解釈の深さが違っていた。フルトベングラーを超える指揮者も、カザルスを超えるチェリストも今もって出てはいない。

  整体の故野口晴哉先生は、膨大なSP・LPの収集家でもあったが、結局は竹針のSPしか聴かれなかった。正常で柔軟な体にとって、それが最も感応し癒されたのだった。

 

 

 

そして、カザルスをこよなく愛された。彼を心の師、治療の師とされた。

LPでさえ嫌われて、エジソンが発明した手回しのぜんまい蓄音機が、結局至高の音を出すと語っておられた。音の世界でも、全体ということが如何に大切かを物語っている。

 

 

 

 

 

 

 


 年末・正月ともなれば、まほろばの店内では、民謡や雅楽など日本音楽が鳴っている。その中で、「江差追分」をどれだけかけたことだろう。不世出の初代浜田喜一や錚々たる民謡歌手が顔を並べているのだが、どういう訳か、一人この人の唄が心に残った。

 

 

 

 青坂満さんという。民謡に不案内の私は、愛好家にとっては失笑ものであるに違いない。この人の唄には、匂いがあるなあ、と強い印象であった。それは、何処から来るのか。詞の隅々に聴こえる浜ことば。かもめが飛び啼き、風が舞い散り、波が寄せては返す。潮の匂い、漁師の怒号、女子供のサザメキ、そんな風景が見えるのだ。まさに、労働歌である。生活の歌が心に訴えかけるように感じた。 
  実際、青坂さんは生粋の漁師であった。荒海を漕ぎ、にしんを追っかけ、網に難渋して、一生の全てを漁に賭けた。その悲喜交々の生活の汗と涙から滲み出た追分。自然に倣って磨かれた歌声。何か唄の起源というか、発祥のような音魂をみる思いだ。

 

 

 


  青坂さんが述懐していた言葉に、「私は追分大会の最近の審査傾向が、一つ一つの技術の点数主義に傾き、全体を聴いてのよさが評価されないのが残念だ。江差追分は、やはり情緒に尽きる」と。  
 

 

 


写真(上下とも)北海道新聞社刊「たば風に唄う」―江差追分 青坂満―松村隆著 より
 

 

 


  東京で比較音楽の講義を聴講していた頃、東洋音楽史家・故岸辺茂雄先生から江差追分のルーツは遠くモンゴルに遡る、との一言が胸に焼きついていた。日本人が等しくこの江差追分を民謡の王者と認める所以は、同じモンゴロイドとしての郷愁を掻き立てるためではなかろうか。実際モンゴルには、ホーミーや他の歌謡に節を何度も回す唱法があって身震いする。
 

 

 


 江戸時代から北前船によって関西との交易によって栄えた江差は、物品と同時に文化も移入して来た。内地人が遠く貧しい郷里を離れて蝦夷に渡り着いて厳しい労働の中で何時も夢見るのは、故郷の家族や風景であった。そんな切ない気持ちを追分は慰めてくれた上に、上方や江戸の歌謡はさらに磨きをかけさせたのだ。
 

 

 


  奈良時代の仏教の声明や、能や文楽などのいわば庶民側でない上級の楽曲からの影響も少なからず大きい。尺八学の一音を揺らすユリなども追分に共通する奏法だ。演歌のこぶしもその影響下にある。追分は一地方の民謡というより、日本古来の楽曲の、民間における集大成のような風格を持つのだ。
  苛酷な単純作業や重労働の辛さを、一時でも紛らわすために生まれた民謡は、自分や同じ仲間への慰めでもあり励ましでもあった。それゆえにその真実が何百年の時を経て歌い継がれて来たのだろう。それを遠く歌い繋ぐためには、技術というより、現代生活に失われつつある労働の辛さや喜びといった体感がより一層、唄を真実に感動するものに昇華させるのであろう。

  そういう私も、最近頓にデスクワークが多くなり、体力が落ちて来た。厳しい肉体労働と太陽が足りないようだ。今年は、少しでも暇を見つけて、まほろば農園に通わなくては!

 

 

 

 

 

 

 


 先日、出張で上京した際、半日予定がキャンセルになり、時を潰すのに浅草の寄席に向かった。何か衝動的に聴きたい、と思っただけの動機であった。実は、寄席を聴いたことがないのだ。
 

 

 


 自分にとっては初体験。車には、父譲りの古今亭志ん生、三遊亭円生などのCDを持ち合わせて時々聞いている。子供の頃テレビで観たものだった。その古典の色褪せない語り口と面白さは格別で、同じ演目でも同じところを同じように笑ってしまう。何か時がゆったりと流れ、体がほぐれるのを感じる。江戸庶民の生き生きとした屈託のない長閑な一日を彷彿とさせるものがある。爛熟とした文化と、成熟した法治、のびのびとした民衆の笑い声が今にして伝わる。
 

 

 

 その日、演芸場に入るや、突如あの三味線漫談家「玉川スミ」さんが登場していた。三歳で初舞台、八十余年の舞台生活、三年後、米寿の記念ステージを企画しているという。とにかくすごい迫力で、ぐいぐい引き込まれるのだ。完全に観客を呑んでいる。それはそうであろう、八十五歳といえば、皆、子や孫のようなものだ。八十余年、来る日も来る日も毎日毎晩、語りに語り、弾きに弾く。長い人生、人にも語れない色々なことがあっただろう。辛いこと、悲しいこと、身の切れるようなこと。何せ十三回も親が変わったという。しかし、一途にこの芸道を歩き続けた。下町のこんな漫談なんかと、馬鹿にする人も居るだろう。
 

 

 


しかし、同じ道を八十年も続けられることが、とにかく凄いと感嘆してしまう。それは、一事一切という禅の境地にも通ずる。一種悟りのように思うのだ。全く媚びる事も論う事もなく、語って人の心を一瞬にして鷲掴みして離さない。意の如く、思いの如く操られる。これは至芸なのだ。三味線の音も手もまったく衰えてはいない。この人生、何と言っていいか、とにかく素晴らしいと思うだけだ。
 

 

 


  中国戦国時代の思想家・荘子の養生主篇 第三に、包丁の起源となった有名な話がある。庖丁という料理人が魏の恵王(文恵君)のために牛を捌く時、その踊るがごとき鮮やかな技を誉めると、庖丁は、「私は十九年も同じ牛刀を使い続けても、今砥石に当てたばかりのように輝いている。それは、牛の皮と肉、肉と骨の隙間に巧みに刃をあてて、刃を滑らせるだけで、無理なく自然の摂理に そって牛を解体するからです」 と答え、それを聞いた文恵君は、「善いことを聞いた、養生(正しい生き方)を会得した」 と喜んだという。  
 

 

 


 スミさんも、この芸事しか生きる術がなかったとはいえ、毎日同じことを飽きもせず繰り返し繰り返し続けた。その無理をせず理にかなった行いであればこそ、 幾多の困難や苦労も物ともせず乗り切れて今日の名人となったと思うのだ。 商いも、あ(飽)きないと書くが、続けてこそ得る境地というものがあるのだという事を、つくづく思う。際立ったことや、飛び跳ねたことは、一時は流行るが、何れ早晩廃れてしまう。古典を学び、今様を掴む。古きに留まり過ぎても、新しきを追うばかりでも、いずれも自然の理に叶わぬ無理というものであろう。 これは一つ芸道にとどまらず、諸事万般に通ずる法則のように思う。スミさんは、国の宝である。  
 

 

 

  最後、トリは、何と場違いな派手なラメつきの衣装を羽織った「古今亭寿輔」師匠。珍しく髭を生やした、お世辞にも品が良いとは言えない出で立ち。ああ、つまらない落語の最後を見ちゃうんだな、と思いきや、会場歓迎の歓声一色。座するや、すかさず、客いびり。  
  目の前のおばさんを相手に、「あなた、私来た途端、チラシ見たでしょう。名前知らないんでしょ。次誰かって見たんでしょ」と、ねちねちと、ちくりちくりと嫌味と戯言で心を刺す。それが悪びれがなく、妙に座を和ませる。聴いてる周りも、言われている本人も、嬉しいのだ。一瞬にして手を捻られるが如く、話術に埋もれてしまう。久しぶりだ、こんな腹を抱えて笑ったのは。
 

 

 


  これが、落語の醍醐味か!と唸るほど、とにかく笑った。実に面白いのだ。テレビでも映ったことがないような、こういう無名の芸人がいたのかと、とにかく感嘆した。それは、単に古典をより上手く話すというのではなく、即興でその場の空気を読んで、その客の雰囲気で話す。ほとんど枕(導入部)で終始するのだが、それはそれで実に愉快だ。
  これが、話術というものか、という事をまじまじと見せてもらった。この寿輔師匠は人の心を読む名人だな、とつくづく思った。小林秀雄風に言えば、やくざな物知りより、一等上物だ、と言われるだろう。無私の精神で観客と一体になれる、それは悟境であると。
  話術が、一つの芸術という領域であることを、改めて認識した。
 
 

 

 

 
 そして、笑いは現代人の閉塞した心を解きほぐす妙薬である事が、最近しきりに言われるようになった。サムシンググレートの存在を唱える科学者・村上和雄先生が、笑いは良き遺伝子を刺激してスイッチをONに切り替える、という発表までしている。

  あのさだまさしさんの歌詞や語りはかつて学生の頃、落語研究会で学んだというし、近くは「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の五日市剛さんの講演の飽きさせない面白さは、やはり落研に在籍していたからではないかと思う。

「生命の暗号」村上和雄著
 サンマーク出版
 

 

 


  私も、毎朝ミーティングで話しをするのだが、一向に上手くならない。聞いてる従業員は気の毒だ。一日一日、一瞬一瞬、世の流れ、人の思い、場の間合いを読みながら、自在に話せることが出来ればと思うのだが。どうしても自分の思うことのみが先行して、周りが見えなくなってしまう。
 

 

 


自他一体になれば、自在に口をついで話しは出てくるのであろう。これも自己を離れた境地であるかもしれない。一行一作、修行でないものはない、と反省しきり。
 
  それにしても、落語にしても、録音でなく、生を聴くといったことが如何に大事かという事を思い知らされた一日であった。

 

2006年4月7日記

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